「ヒロシマからフクシマへ 〜内部被爆について〜」

2011年10月9日 00時36分 | カテゴリー: 都市環境

肥田舜太郎先生講演会へ行ってきました

今日は、戦争当時、広島陸軍病院の軍医であった
肥田舜太郎先生のお話を生活消費者センターで聴いてきました。

広島で原爆を経験し、ずっと原爆患者に寄り添ってこられた
医師だけにその言葉にはズシンという重みがありました。

94歳とは思えない、かくしゃくとしたお姿と語気には、
原爆に始まって、この福島の原発事故までも
経験してしまったことへの「情けなさ、怒り」、

それでも庶民に寄り添い、希望を提示しようとする
強い意志と優しさをありありと感じました。

印象的だったのは、
日本は、原爆を経験しているのに、
実は原爆の全容がわかっていない、
放射線が体内でどう作用するか、
そのメカニズムは医学の未知の分野だ

ということ。

せめて広島・長崎の研究結果でもあれば、
「内部被爆の恐ろしさ」がわかるのに、それがないのです。

それはなぜか。

戦後7年間、アメリカ軍は
「原爆は、軍事機密だから」、ということで
いっさい、原爆症の症状の記録も写真もとってはいけない、
研究もしてはいけない、と命じたから。

もし、内部被爆の恐ろしさがわかっていれば、
原発を作るなんてありえない

ということでした。

原爆投下後、医師として人々に対応していた時、
はじめは、ひどい火傷としか、とらえていなかった体の症状、
でも数日後


① 高熱 
②鼻・口からの出血 
③口の中が真っ黒で、腐敗臭 
④腕にたくさんの紫斑
⑤髪の毛がごっそり抜ける

という症状が現れ、多くの人が亡くなっていったそうです。
これまで経験したことのない特異な症状を
研究もさせてくれない、他の医師と相談することも許されない、
というアメリカ軍のやり方に憤りを感じながら、
目の前の苦しむ人たちに対応する日々だったそうです。

しばらくすると、今度は、直接原爆に会っていないのに、
雨にあたったり、市内に救援で入っていた人が、
体調を崩していくという状況が2,3年後、
あるいは、2,30年後にも出てきたそうです。

「ぶらぶら病」と呼ばれる、その症状は、
「ひどいだるさ」が襲ってきて、何もできなくなるもので、
それゆえに、「なまけている」、「ノイローゼ」、「気のせい」と

診断されてしまっていたのだとか。

原爆が原因だという証拠もなく、
したがって、何の補償も受けられず、
「結婚できない」、「働けない」、「差別を受ける」という
何重もの苦しみを受けてひっそりと亡くなった人が
たくさんいた、ということでした。

というわけで、今回の原発事故の場合も、
国の「大丈夫」という言葉にはだまされないように、とのこと。
内部被爆は受けない方がいいに決まっている。
低線量被爆の影響は、わかっていないから、と。

ここまで、聴くとショックですね。
でも肥田先生は、爆心地でずっと医療活動を続けてこられたのに、
今もってお元気です。
そこだけは大きな希望です。

つまり、低線量被爆の現れ方は、人によって異なるんですね。

では、どうすればよいか。


ごはんをよく噛んで食べる
(唾液の中のジアスターゼという酵素がよくからまってこそ、
     胃液がよく作用する)
睡眠をよくとる
便秘にならないように規則正しい排便を
食事は、楽しい話題で

つまり、健康的な、規則正しい生活を保ち、

免疫力を上げることが大事だということでした。

もちろん、
原発をやめて、放射能の元を断つのが一番です
とのこと。

先生の優しいお顔に励まされつつも、
厳しい一言「こんなバカな国を私たちがつくってしまった」は、
鋭く心に突き刺さりました。 

【主催】生活クラブ生協 まち大田
 「ヒロシマからフクシマへ 〜内部被爆について〜」
 肥田舜太郎先生 講演会 より