教科書選定のありかた・教育委員の選任のしかたを問う・その2

決算特別委員会にて

さて、私は、今回の選定にあたり、「学校意見」「区民意見」「資料作成委員会の客観資料」「調査委員会作成の報告書」を確認いたしました。そのうえで、教育委員会の採択に至るまでの議事録を読ませていただきました。

区民意見は、寄せられた134件のうち114が社会科つまり、歴史と公民の教科書に対する意見でした。

選定する教科書は、11教科、15科目の教科書にものぼりますが、その中のほとんどが歴史・公民の教科書への意見だったことからも歴史・公民の教科書への関心の高さがおわかりいただけると思います。
意見の多くは、歴史認識の違いや憲法解釈の違いを指摘するものでした。

アンケートのなかに、「同じ教科書なのにこれだけの違いがあることにびっくりしました。これだけの違いがあると、その選定により、子どもたちの感じ方も大きく変わると思います。一人の区民として、一人の親として内容をしっかりと記載する教科書の選定を強く望みます」という意見もありました。文部科学省の検定を受けている教科書でありながら、その内容に大きな違いのあることがわかります。

たとえば、「公民」の教科書の「憲法における平等権」を例にとります。

ある教科書は、「全ての人は、平等であって、平等なあつかいを受ける権利(平等権)を持っています。しかし、歴史的には偏見にもとづく多くの差別があり、現在でも残っています。とりわけ、生まれによる差別は、平等権に反し、個人の尊重の原理をおかすものであり、一日も早くなくさなければなりません。」と書いています。

一方、ある教科書は、「憲法は、全て国民は、法の下に平等であり、人種や性別、社会的身分などによって差別されてはならないと定めています。しかし、これはすべてのちがいをとりはらった絶対的な平等を保障するものではありません。また、行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ、個性をうばってしまう結果になることもあります。」と書いています。

憲法は、日本の進むべき方向や理念が表現されている最高法規です。憲法をどう解釈するかは、社会を形成していく主権者としての生き方にまで関わる重要な問題です。
ましてや初めて憲法を学ぶことになる中学生にとっては、その影響は計り知れません。したがって教科書採択の作業の重要性、教育委員の任務の重さがわかります。

しかし、教育委員会の議論の場では、あげられた学校意見も区民意見も、まったく議論の遡上にのぼっていませんでした。
少なくとも、とても大事な「歴史」、「憲法解釈について」どのように記述している教科書を大田区の子どもたちに学ばせるべきかという議論がなぜなされないのか、大変疑問に思いました。

教育委員は、それぞれの意見を述べてはいても、議論や調整はなく、個々の委員は既にそれぞれ意志が決まっているようでした。「区民意見」や「学校意見」ではなく、それぞれの委員の教科書に対する考え方が、教科書選定に大きく影響しているように感じ
ました。

教育委員に誰を選ぶかということが、教科書選定に大きく影響するということは否定できない事実であると考えます。

教育委員は、地方教育行政法によって、首長が区議会の同意を得て任命することになっています。また教育長は、委員のうちから委員会が任命することになっています。しかし、議会の同意を得るにあたり、議員は判断材料として「経歴」しか知ることができません。あまりにも情報として少なくないでしょうか。
白紙委任になってはいないでしょうか。

また教育委員会には、政治的中立性の確保・首長からの独立性が必要とされています。
であるなら、政治的背景を持つ区長の選任だけで教育委員が選ばれるということは、中立性ということにおいて、問題があるといえないでしょうか。

そこで、提案いたします。教育長はじめ、教育委員を選ぶ方法を公募とすることはできないでしょうか。

平成22年3月時点で、公募制をとっている自治体は、23あります。

たとえば、立川市では、保護者枠、一般枠を各1名ずつ公募で行っています。選考委員は、市長・副市長・教育長・教育委員・社会教育委員の会とPTA連合会には、委員を推薦してもらって、計7名で構成、作文と面接での審査をします。その結果が議会で承認されると正式に委員に任命という形になります。

教科書選定だけではなく、深刻さを増す教育問題に対応するためにも、子どもの教育に自ら意欲を表明する人を委員として選ぶことが今後は特に重要かと考えます。区民が学校や教育に関心を持ち、責任を持って関わるきっかけにもなり、大田区の地域力が発揮されるよいチャンスにもなるかと考えます。

教育委員の選考方法における公募制について、ご見解をお聞かせください。