忘れられない今年の出会い ~まりや食堂訪問記~

 山谷の街に、人に寄り添う牧師さん まりや食堂訪問記 (9月3日)
南千住駅から、スカイツリーを正面に見て歩き、泪橋を渡ってすぐの「日本堤2丁目」に「まりや食堂」はあります。以前は、食堂をしていたけれども、いろいろあって、今は、お弁当屋さんになっています。
2階が教会の礼拝堂で、一階が調理場とお弁当売り場です。30年前から、菊池先生が牧師と日雇い労働者をしながら、開いてきました。
11時集合、5人のボランティアが世話役のリードに従ってお弁当の仕込みを始めます。今日の献立は肉系が、豚の角煮弁当、魚系が秋刀魚か鯖か鰊か鮭の弁当ですべて300円。メイン以外のおかずは、共通で、ひじきの煮物とキャベツの塩もみ。その他に、ピーマンの炒め煮やサーモンマリネやわかめの酢の物など一品料理も。これらは30円。ほかにのり弁(160円)、卵弁当(130円)があります。

女性たちが手際よく、どんどん料理を作っていき、最後の盛り付けでは、おいしそうにみえるように並べ方を工夫したり、青みを加えたりします。

15時近くなるとまた別のボランティアのグループが来て、トウモロコシ、冷奴、卵弁当用の卵焼きなどを作って、すっかりメニューを完成させると、4時半の開店に備えました。シャッターを開けると美しいステンドグラスの窓。そのステンドグラスの窓を開けるとお客さんが列を作って待っています。

注文を取るのと会計は、菊池先生。その注文を聞きながら、お弁当をセットし、手渡すのは、ボランティアスタッフ。毎日、80食くらいは売れて、多いときは150食出たこともあるとのこと。
常連さんも多いようで、菊池先生は一言、二言、言葉を交わしながら注文を聞いています。 客「こないだは、まりやにおつりがないっていうから、俺が10円玉で両替えしてあげたんだよね」 菊池先生「そうだったね。今日はおつりあるかな?」
ここ山谷は、かつて、日雇い労働者の集まった場所。若いときに地方からここに出稼ぎにきて、そのまま終の棲家になってしまっているのか、今は、その方たちが高齢化して多くが生活保護を受けているとのこと。確かにご高齢の方が多くみうけられますが、若い人や壮年の方もちらほら。町中にある、旅館・ホテルは、実は、暮らしの場でもある「簡易宿泊所」「簡易アパート」がほとんどだということです。
菊池譲牧師の著書この器では受け切れなくて」(新教出版社)には、この町の変遷と「まりや食堂」のことが詳しく書かれています。そこからたどってみると・・・
山谷から「日本社会」が見える
●日本社会と山谷の変遷

山谷が最大の活気を呈していたのは、東京オリンピックの頃で、一番多い時で1万4千人の日雇い労働者が住み、ドヤ(簡易宿泊所)街、食堂、飲み屋、雑貨屋ができて、活気に満ちていたそうです。当時は、建設ラッシュ。上下水道、新幹線、地下鉄、高速道路、土木労働者はいくらでも必要だったそうです。
今、山谷は消失しているのではなく、分散化
●日本社会の寄せ場化
使い捨て労働力として社会に貢献した日雇い労働者の需要と供給の寄せ場。→高齢化によってその役割を終えつつある。 代わって、短期的仕事を斡旋する派遣会社が寄せ場を引き継ぎ、社会にしっかり根を下ろしたがゆえに、日本全体が寄せ場に。携帯電話の普及がそれをより可能にした。
非正規労働者の生み出される背景:グローバル化と自由市場による多くの製造業の壊滅や、安い労働力を求めてアジアに生産拠点を移す企業。合理化。低賃金。派遣会社は、合法的に企業に日雇い労働者を送り込む。大資本の下請けとして。
この“安く不安定な仕事に人を大量に送り込むシステム”は、必ず将来、野宿者の増加や社会の不安定化を招く。ある程度の再生産できる収入を保障しなければ、日本経済は動かなくなるし、社会保障も破綻する。一部の人だけが豊かになる社会は害である、と菊池先生。
 ●ひとすみを照らす光
今また、2020年の東京オリンピックを目指して、大型公共工事、建設ラッシュが始まろうとしています。果たして、健全な産業・雇用が生み出されていくのでしょうか。町の発展を支える人と享受する人が異なる、という構図にまたなるのではないでしょうか・・・。
通りの向こうにそびえる美しいスカイツリーと淋しいドヤ街のアンバランスさが、この国の「矛盾」を物語っていましたが、まりあ食堂で明るく働いている菊池先生と多くのボランティアに「貧困を絶対に見捨ててはいけない」、という強い信念と温かい愛情を見つけて、街のひとすみを照らす光に私もなりたいと思って帰った一日でした。