子どもの成長に欠かせないこと“群れて遊ぶこと”   児童文学作家・古田足日さんを偲んで

2015年1月4日 10時58分 | カテゴリー: 子ども, 教育

子どもたちへのエール・古田足日の作品

「おしいれのぼうけん」を知っていますか

保育園の生活の一コマですが、叱られた子どもが入れられる「押し入れ」が舞台になっています。2人の子どもがお仕置きにまっくらな押し入れに入れられて、想像の世界の「ねずみばあさん」との戦いが繰り広げられます。

220万部のロングセラー。日本の幼年児童文学の頂点にある一冊ではないかと思います。古田足日さんの作品は、「ダンプえんちょうやっつけた」や「ロボット・カミイ」等々どれも、子どもたちが夢中になりました。

おしいれのぼうけん (絵本ぼくたちこどもだ 1)
(1974/11/01)
古田 足日

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ありのままの子どもたちを描く

古 田足日さんは、徹底的に、子どもの心と、生き生きとしたエネルギッシュな“子どもの生活”を描きました。“子ども”という存在をまるごと受け入れました。 けんかやいたずら、いじわるや弱虫、悲しんだり、喜んでいる子どもたちの現実がそこにはあり、それは、空想の世界とも地続きであるということも含めて、子 どもたちの現実でした。だから子どもたちは、物語の世界にすっかり入り込んで、感情を開放し、わくわく、どきどき、心で遊び、冒険をする、という充実感を 味わいます。いわゆる大人の好きな“教訓話”ではないのです。

いっしょに読んでいる大人は、子どもの感情をたどることになります。子ども が何を悔しがり、何を悲しみ、何を喜ぶのか。そして、“子どもは遊ぶ存在である”、という重要なことを体験的に知ることになります。そういう意味で、子ど もといっしょに生きていきたい、と思う大人には必須の作品と言えるかもしれません。

「子ども主体」日本の児童文学をリード

1959年に古田足日さんが書いた「現代児童文学論」では、それまでの日本の児童文学の“理想主義”からの脱却を訴え、“子ども”をありのままに捉えたエネルギッシュな物語を創る必要性の主張をしていました。

“子どもはエネルギーにあふれた存在であり、さらに子どもはそれを求めているので、その芽生えを育て、子どもの欲求に合致するものを作りだし、さらに子どもをエネルギッシュな人間にしなければならない”

まさにそのとおりに、自らが子どもの世界のエネルギッシュな物語を創りつづけたわけですが、子どもの世界の大事な要素は、“群れて遊ぶ”ことだとよく言われていました。


“群れて遊ぶ”こと・“個と集団”

現代、幼児がスマートフォンをいじっていたり、あふれんばかりのエネルギーに満ちた年代の子どもたちが、手の中のゲーム機に夢中になっていたりしていることは、古田作品を思い浮かべても、子どもの本来の成長過程とはかけ離れたものだと思えて残念でなりません。

原っぱがなくなり、自由に遊べる空間を大人が奪ったことも原因でしょう。また子どもも商業のターゲットにされてしまっていることも原因でしょう。しかし、なにより、“群れて遊ぶ”ことの意義を大人が知らないせいもあるのではないでしょうか。

“群 れて遊ぶ”ことの意義を私たちはもう一度考え、古田作品から読み取っていこうと思います。そして、子どもの環境のために必要なことは言っていこうと思いま す。児童文学の世界を切り開きながら、子どもたちへ精一杯のエールを送り続けてきた古田さん。その意思を引き継いで、私たちは、子どもから“遊び”を取り 戻し、古田さんの追い求めた“個と集団”について追及していかなくては、と思います。

子どもを見る目を問い直す―古田足日 講演の記録 
(童心社より)

創作の目標
作品の中で書いてきた子ども、希望としての子ども
・遊ぶ子ども
・集団の中で育つ子ども
・ものをつくりだす子ども(目に見えないことを想像することも)
・もっとものを考える子ども

児童文学・3つの提言
 愛国心教育の悪夢
・学校教育に縛られない、子どもの本・絵本のあり方
・児童が優れた絵本を手にすることは、全宇宙を自分の手にすること

「この本大好きの会」の「暮れの集会」(2014年12月25・26日・市川)では、古田足日さんを偲ぶコーナーが作られました。