日航ジャンボ機墜落事故から30年 美谷島邦子さん講演会 ~命の重みを訴え続けて~

2015年12月7日 09時52分 | カテゴリー: 防災・安全

12月5日、久が原教会において、地元に住む美谷島さんがお話をされました。

1985年8月12日、520人もの犠牲者を出した日航機123便の御巣鷹山墜落事故。

そ の衝撃的なニュースの中でも、小学3年生の男の子が大阪に一人で向かって事故に遭ったことは、“なんてかわいそう”、と印象的に覚えていましたが、そのお 子さんが久が原に住み、東調布第3小学校に在籍していたことはずいぶん後になって知りました。そのお母さんが、美谷島邦子さんで、8.12連絡会事務局長 をされて、この30年間、事故対応のあり方を追求し、遺族を励まし続けてこられたのです。

小さい息子さんを亡くすほど、悲しいことはないでしょうが、同じ悲しみを持つ「きずな」を遺族の人たちと大切にしながら、闘ってこられました。この日は、30年を振り返って、命の重みと事故から得た教訓を切々と語ってくださいました。

家族が突然亡くなるということ

亡 くなった520人のうち、ビジネスマンが多く、この事故によって母子家庭になった数は189。一家の大黒柱を亡くして生活が成り立たなくなった人、乳飲み 子を抱えて途方にくれる人もありました。家族全員を亡くして、自分一人になったお年寄りも。小さなこどもは50人亡くなりました。心労で自殺した人、離婚 をした人もいました。かわいい息子を亡くした美谷島さんは、“生きることは死ぬより辛い、幸せは身近にあったのだ”と気づいたそうです。

前向きになれたのは “人とのふれあい”、“きずな”

墜落前、ダッチロールの35分間、息子はどんなに怖かっただろうと考える辛い日々。
四 国からの電話は、機内で息子の隣の席の娘さんの母親からでした。「娘は22歳で、優しくて子ども好きだった。きっとお宅の息子さんの手を握っていたはずで すよ」。美谷島さんは、“息子は一人じゃなかった”と思えるようになって、この時から少しずつ前向きに。そして「一人ではない」「人の心の痛みは人の心で しか癒せない」「人はつながって生きる」という思いを強めていったそうです。

遺族が求めるもの

責任追及より事故の再発防止
事故調査委員会の体制強化
予算を増やし、中立性・独立性を担保
安全の扉を開けること

人間はミスをする。その事故から学ぶことが次のミスを防ぐ。
事故を心に刻むことがミスや油断防止につながる。

この30年で変わったこと

被害者の連携が進んだ
「被害者支援室」が設置され、被害者ニーズ調査が行われた(国土交通省)
公共交通事業者による被害者等支援計画の策定
日航安全啓発センター設置(残存機体と遺品展示)


美谷島さんの言葉は一つ一つ、心に響きました。
当事者の言葉ほど重いものはありません。

“安全に終わりはない。
子どもたちの夢に翼をつけて、21世紀の大空高く、ロケットも飛行機も飛んでほしい”

“当たり前の日常を大切にする社会であってほしい”

“世界の空に向かって安全の鐘をならしていきたい”

 

 

 

 

 

 

 

 

主催者の「サークルつなぐ」の方々
一番左にいらっしゃるのが美谷島さん
 

主催者の「サークルつなぐ」は、4年前、3・11の東日本大震災をきっかけに生まれたグループです。生活用品を送る活動は、現在も美谷島さんと一緒にバザーなどを開催して続け、地域の支えあいのネットワーク作りにもなっています。

美谷島さんたち、遺族の方々の「空の安全」に対するゆるぎない追及と熱意が、数々の実を結び、事故の教訓が生かされる道が開かれてきていることがわかりました。

羽田空港が国際化に伴って、増便、そして東京上空、内陸を通るルートを示してきています。騒音被害に加え、安全性はだいじょうぶなのか、経済優先で「生活」や「事故のリスク」を軽く見ていないのか、しっかりチェックしていかなくては、という思いを強くさせられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

会場となった久が原教会