映画「山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」を観て

2016年5月16日 17時57分 | カテゴリー: 平和

こんなお坊さんをご存知ですか。長野県阿智村・長岳寺・山本慈昭住職。
今、“中国残留孤児”という言葉はだれでも知っていますが、その存在を世の中に知らせて、中国残留孤児と日本の肉親を引き合わす活動に生涯をかけたお坊さんです。戦争の傷跡を自らの責任とも考えての行動でした。

5月15日、アプリコ小ホールで映画「山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」 上映会がありました。

 

山田火砂子監督の挨拶から

自 らの戦争体験、下町に焼夷弾が雨のように降り町中、火の海になる。「日本には神風が吹くはず。今、雨が降れば助かるのに」と思うが雨は降らず。学校の先 生、うそつきだ」と思った子ども時代。そして戦争のむごさの中でも満州での棄民政策は許せないもの。この事実は伝えていかなくては」との強い思いで映画を 作られたとのことです。

 

映画のストーリー

山本慈昭住職は、敗戦の3か月前に満蒙開拓団の一員として、多くの村人とともにソ連国境近くの満州に入植しました。国民学校の先生として請われたのです。

「二十町歩の大地主になれる」「肥沃な土地」との政府のふれこみに27万人もの日本人が夢を描いて渡った満州でしたが、実際は侵略でした。すでに中国人が開墾していた土地を奪うというものでした。

住職たちが渡って間もなく終戦。じきにソ連軍が侵攻してきました。無防備の開拓団を関東軍は置き去りにして逃げ、しかも追われるのを防ぐために橋を破壊して逃げたので、開拓団の逃避行は困難を極めるものでした。病死や集団自決をする開拓団も多かったそうです。

住職は1年半のシベリア抑留後に日本に戻れますが、生き別れた妻と娘は満州で亡くなりました。帰国した住職は、開拓団の一軒一軒を歩いて回って記録をとり、 「阿智郷・満州死没者名簿」としてまとめました。60年代後半に、元開拓団員から、子どもを救うために中国人に渡したと打ち明けられたことと、中国残留孤 児からの手紙をきっかけに残留孤児とその肉親捜しの活動を始めたのです。地道な訴えがやがて、国を動かすまでになりました。

 

山田火砂子監督と

 

 

 

 

 

 

 

 

山田火砂子監督と

 


「国家が総力をあげて創り上げたウソを見抜くのは難しい」
「国家に尽くした日本人は、(中国に対して)加害者であって、被害者であった」

映画の冒頭、字幕で書かれていた文章が、印象的でした。
今の時代にそのまま当てはまるのではないかとドキッとします。
特定秘密保護法、集団的自衛権の閣議決定、憲法改正、沖縄辺野古の埋め立て・・・
どれも国民にメリットがあるようにいっていて、安倍政権の支持率は下がっていない。
政府のやることに無関心で、追認するとすれば、いつか加害者になり、被害者になるかもしれません。84歳になる山田監督が“今、作らなければ”と思った理由がここにあるのでしょう。

わかりやすい映画なので、ぜひお子さん(小学4年生以上くらいならだいじょうぶだと思います)とごいっしょにご覧になるのもお勧めいたします。
 
次回の上映は、なかのZERO地下2階視聴覚ホール
5月26日、6月3日、6月24日、いずれも10:30~、14:00~