歴史と文化の継承・世界遺産のまちで 「雑もの茶会」

石見銀山で栄えた島根県大田市大森地区。10月22日、ここにある200年前に建てられた、重要文化財「熊谷家」のお屋敷を活用した「雑もの茶会」 という催し物に参加しました。肩の凝らない楽しい茶会だということを聞いていました。なんでもいいから(ボールでもマグカップでも)自分の茶器を持参せ よ、とのこと、そしてあらかじめ自分の持ち込む茶碗についてのエピソードを送っておく、という面白い趣向がありました。

 

1801年建築 重要文化財・熊谷家

 

 

 

 

 

 

1801年建築 重要文化財・熊谷家

 

石見銀山で栄えた大森地区は江戸時代、天領(幕府直轄)であり、熊谷家は鉱山業や酒造業を営む一方、代官所のご用達、大森町の町年寄を務めるなど、最も有力な商家でした。
当時、大きな商家はお客を迎えるのが大事な事業。大量の箱膳や食器、それに献立表などが残されているのがその証拠です。当時のおもてなしの片りんを味わう行事の一つがこの「雑もの茶会」です。

 

熊谷家に残されていた大量の食器

 

 

 

 

 

 

熊谷家に残されていた大量の食器

 

おもてなしとは・出会いを大切にすること

暖かい色の毛氈が敷き詰められた座敷に、お客は壁に沿ってぐるりと座り、この地方の料理、箱ずしを中心にしたミニ懐石をいただきます。全て、旬の地元の野菜 を使った手作りで、柿の葉をあしらうなど、見た目も美しく、丁寧に作ったおいしさです。お給仕をしてくださるのは、「家のおんな」と呼ばれる熊谷家を運営 する方々ですが、みな着物を着て、立ち居振る舞いも美しくもてなしてくださるのです。

お食事が済むと、地域の歴史の話を近 くの寺の住職がしてくださいました。今回は寺の変遷についてです。銀山が栄えた頃は人口は20万人、寺は139もあったそうです。今では人口400人、寺 は5つです。当時、銀山で働く工夫たちは過酷な労働で肺を侵されることが多く、30歳が寿命だったそうです。神仏への信仰が一つの支えになっていたので しょう。

食後は、お菓子と抹茶です。この時、自分の持ってきた茶碗が誰のもとに行くかわからない、という楽しい趣向です。 お菓子とお茶をいただきながら、あらかじめ撮影された茶器がスクリーンに映し出しだされ、あらかじめ提出しておいた茶器にまつわるエピソードが司会者に よって紹介されていきます。楽しい思い出、ほのぼのとする思い出、それぞれの家族の物語に心がほっこりするひと時です。

少 しの休憩をはさんで、今度はテーブルごとに分かれて座り、野草茶と手作りのお漬物。いつの間にか打ち解けてきていて、おしゃべりが弾みます。最後のプログ ラムは音楽。玄関の広い土間での弦楽四重奏。島根大学の先生と学生さんたちのグループが、美しくて、楽しい曲を披露してくださり、豊かな時間をその場にい る人たちで共有できました。

 

台所

 

 

 

 

 

 

台所

 

重要文化財が活きるとは

風格のある建物はそれだけで、見ごたえがありますが、そこに人の手が加わって家がその本来の役割を果たしてくれます。そうじの行き届いた清々しいお座敷、季 節の花、掛け軸、屏風。空間の演出には、日本の奥ゆかしくも凛とした文化を感じます。そこに箱膳が並び、うるしの椀に季節の料理。
200年前からの人の営みを想像しながら、暮らしを実感する体験でした。

熊谷家の梁

 

 

 

 

 

 

熊谷家の梁

 

成長・発展だけが豊かさではない。街並み保存地区

この熊谷家の他に武家、町屋が混在している大森の街並み。ゆうに建ってから100年は立っているのではないかと思われる古民家群です。伝統的建造物保存地区 に指定されているので、修復に助成金があるかわりに規制が多く、屋根瓦の色も壁の色も当時を再現するという約束で統一されています。

 

大森地区 街並み

 

 

 

 

 

 

大森地区の街並み

 

大森町住民憲章

 

 

 

 

 

 

大森町住民憲章

 

ごみ一つ、落ちていない美しい通りは住民の町を愛する気持ちの表れでしょう。近代的な経済成長に乗り遅れたことが、街並み保存の成功につながったといいま す。コンビニもファミレスもない地域ですが、連綿と続く歴史を語る街には、地に足のついた日常があり、心豊かに生きるとは、ひたすら消費することでも、機 械に使われることでもないことに気が付かされるのです。

 

熊谷家のプロデュースをされた小泉先生

 

 

 

 

 

 

熊谷家のプロデュースをされた小泉先生と