外遊びは生きる力の源 「外遊びからしか獲得できないこと」天野秀昭さん講演会のご報告

2018年7月24日 09時48分 | カテゴリー: 子ども, 市民活動, 都市環境・子ども

「何をしていいか、わからない」「やりたいことが何もない」という

大学生がいるという危機。 

”私”というものは、どういうふうに創られてくるのか。

外遊びは生きる力の源    

「外遊びからしか獲得できないこと」

天野秀昭さん

(NPO法人 日本冒険遊び場づくり協会理事)
「キッズな大森」(子ども家庭支援センター)にて

 

7月22日「子どもの遊びと地域の公園を考える会」主催で、天野秀昭さんのお話を伺いました。デンマークで始まったプレーパーク(冒険遊び場)が日本では1975年、世田谷に初めて開設されました。天野さんはその初代のプレーリーダーを勤めた方です。社会の変遷と共に子どもたちの遊びの変遷を見てくる中での考察を熱く語ってくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何をしていいか、わからない」「やりたいことが何もない」という大学生がいることに驚いた話。子ども時代、自由に主体的に遊ぶ中で ”私”というものが創られてくる現場を見てきているからこその”遊びこそが人育て”というお話には実感がこもっていました。

 

 

 

 

 

 

 

天野秀昭先生

 

 

災害と子どもたち
 子どもたちはどうやって、自分の心を立て直すか

天野さんは大きな災害があるとプレーパークを作りにいかなくては、と考えるそうです。子どもたちに心のケアが必要だからで、「遊ぶ」ということの中には大きな力があるからです。
阪神大震災のあとに、子どもの遊びの中に「震度7じゃ」といって、ばたっと倒れる遊びがあったそうですが、恐ろしい経験をなんとか自分たちがコントロールしようとする、理解しようとする、コントロール可能なものとして心の中に落としもうとしている活動ではないかと思ったそうです。心の修復に遊びによる”修復作業”は欠かせないのだとの実感です。実際、東日本大震災のあと、気仙沼にプレーパークを作りにいくと、滑り台での津波ごっこ、引き潮ごっこが見られましたが、”津波で全部持っていかれた”という経験の再現であり、心のケアにとっては、言語化する力がない中では、非言語で表現する場はどうしても必要だということでした。

 

プレーパークの成り立ち

プレーパーク(冒険遊び場)活動はデンマークの造園家が廃材置き場でいきいきと遊んでいる子どもの様子を見て”創造的な遊び”に気が付いたのが最初です。子ども自身の発想で、自由に遊ぶことの意義とともに世界中に広がりました。1975年世田谷区の親たちが自主的にボランティアで共同運営を始めたプレーパークを1979年国際児童年の記念事業として世田谷区が採択したのが、日本で初めてのプレーパークです。その後、世田谷区では4か所が区との協働事業で継続しています。

 

子どもの“やってみたい”が遊び

子どもは高いところに登りたい、飛び降りてみたい、自分の力を試してみたいのです。
どろんこの「ねちゃねちゃ」や「ぬるぬる」、その他「ごわごわ」や「ざらざら」いろいろな感触を体験したいし、体験することが必要で、たくさんの体験の中から「ほどよい」という感覚も身につきます。
プレーパークは、子どもの“やってみたい”を実現するところ。どろんこ、木工、ベーゴマ、ゴザチャンバラ、釘射し(五寸釘を地面に打ち立て、相手の釘をすっとばすと勝ち)・・・。

主体的に“やりたくてやってみること”が遊び。大切なのは本人の中に”動機”があるかどうか。「教育」から「遊育」へ。「教育」は教え育てる。教える内容は大人の価値判断による。「遊育」は主体は子ども。

“私の世界”を育てることが大事。生きている実感になる。大人の管理や評価の下では”本来の私”が育たない。少子化ということは大人が増えたということ。大人の管理、監督が強まるということ。子どもを逃がさないぞという大人の目を感じる社会、何かあると責任追及する社会。
遊ぶことができない。
→”生きている実感”があれば、”だれでもいいから殺したかった”という殺人は起きないのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

遊びはプロセス

昔は各家庭の台所から出たゴミが側溝に流れ、川に入り、海に行きつくことがイメージできたから、”海を汚す”ということがイメージできた。今の生活の中では「プロセス」や「くらしの裏付け」がなくなってきている。だから、プレーパークではできるだけ始めから終わりまで、自分でやる過程を大事にしている。

 

遊びは学び、人間力、危険察知能力

「かくれんぼ」は高度な遊び。かならず見つけてくれる、という信頼がないと隠れられない。鬼にとっても「どこかにかくれている」という信頼感があって、はじめて遊びが成り立つ。遊びの中で、人間関係を学ぶ。
ターザンロープを作ってあげたら、ツルをちゃんと持っていられる子どもがいない。握力、腕力、腹筋がない。体ができていない。いつ骨を折ってもいい状況。
→自分で自分の身を守る力がつくれていない。自分で自分の身を守る能力をつける、これほど安心なことはない。

あるプレーパークの縁側、幼児もいるので、柵をつけるかどうか、迷った→つけなかった。はいはいできる乳幼児は落ちるかどうか察知する「距離感」もあるはず。大人の見守りの中で、子どもの育ちを信頼する。

 

ある親子の会話
4歳の子どもが今まで登ったことのないところに登ろうとしている。
その親、「登ったことないでしょ。危ないよ」と制止しようとする。
4歳の子ども「登ったことないから、登ってみるの」

遊びは、挑戦。やれることなのか試して判断していく
→危険察知能力

 

 

 

 

 

 

 

 

遊びの中での子ども同士の助けあい、学び合い

多世代がいっしょに遊ぶことで、小さい子どもにとっては、大きい子どもがスーパーヒーロー
→人のためにできることがある。自己肯定感、有用感。