命のリレー・ずっとずっとつながってきたー時代に翻弄される命・平和を守って

帰省したらおじいちゃんの話を聞こう。

おばあちゃんの話を聞こう。

スマホは、ちょっとお休みして

 

実に個人的でたわいもない話ですが、自分につながってきた命のバトンを思うと、祖父や祖母がどんな人でそのまた上の曽祖父や曾祖母はどんな人だったのだろう、と知りたくなります。お盆は、先祖の話を聞くのにはちょうど良いチャンスです。今回、母から曽祖父と祖父についての話を甥や姪たちといっしょに聞いてきました。それぞれの“時代の空気”をよく感じると同時に平和の大切さ、日々の家族の営みが守られることの大切さを感じる話でした。

 

私の曽祖父

母の母方の祖父のこと:(1868年・慶応4年生まれ 安岡勝実)

母の語りによる

シバテン(高知に伝わる空想の動物・かっぱ)と相撲をとったおじいさん
「おんちゃん、すもとろ、すもとろ」とシバテンが誘うので、おじいさんはシバテンと相撲をとったんだって。仕事の帰り道の川の土手で。家に帰るなり、「シバテンと相撲をとってきた」といって、泥や草のついた服を見せて、相撲をとったところの草が倒れているはずだから土手を見ておいで、といったり、またある時は、蛇の目傘をばらして土俵のところに印をつけてきたよといったりして。おじいさんの話は真に迫っていて本当かな、と思うときもあったけど、きっと酔っぱらって夢を見ていたんじゃないかな。お酒が好きだったし、おもしろいおじいさんだったよ。

……というのが母の話。

おじいさんがシバテンと相撲をとったという話は生前、祖母からも聞いたし、叔母たち2人からも聞いたことがある。おじいさんの思い出といえば、「シバテンとの相撲」といえるようだ。勝実の生まれは高知県夜須町、大人になってからは高知市萩町で暮らす。若い頃は鍛冶屋の見習いにいっていたこともあるが、内務省の港湾工事の担当という仕事をしていた。若い頃は趣味人で生きもの植物なんでも好き。家には土佐犬を飼っていた時期もあるし、闘鶏のしゃも、尾の長さを競う尾長鳥、長く鳴くことを競った東天紅鶏、などあらゆる鳥も飼っていた。土佐犬の世話に若い人を雇っていたほど凝っていた。定年後は陸軍の倉庫番をしていたが、倉庫は対岸にあったので、小舟で行き、仕事の帰りには、その海に近い河口でうなぎ採りやタコ釣りを楽しんでいた。器用な人で、終戦後の焼野原に家を作っていくとき、大工さんの手伝いをしていた。また焼夷弾の鉄を加工して鍋やフライパンも作った。戦後すぐの南海地震の折に家がつぶれたときも家族が暮らせる応急の家を作るなど生活力のある頼もしい祖父だったとのこと。


曽祖父が「シバテン」と相撲をとったことが本当かどうかはわからないですが、家族を楽しませ、おおらかな家庭の空気を作っていたことは確かです。それにしても空想の動物が普段の生活の会話の中に出てくる「風土や文化」、「時代」そのものが興味深く感じられます。江戸末期に生まれ、明治・大正期を生きた曽祖父、現代のように科学的合理性を求める、ある意味「目に見えることが全て」という社会ではない、「たたり」とか「妖怪」という人間界とは別の世界もあるにちがいない、という感性が社会全体にあったのではないでしょうか。ファンタジーと生活がいっしょになっていた牧歌的な空気があった時代は、人間が全て、という“傲慢さ”からも遠かったのではないでしょうか。私も曽祖父から「シバテン」の話を聞きたかったです。きっと身を乗り出して聞いたことでしょう。

 

私の祖父

母の父のこと(1909年・明治42年生まれ 安岡林)

闘わずして戦死
林は、男ばかりの7人兄弟の末っ子で、安岡家に養子に入る。安岡家の一人娘の初喜と結婚。娘が3人生まれる。私の母・友子が長女。林は、日本セメントで働いていた。趣味は投網、休みの日には投網の競技に出ていた。船団を組み、上手に形よく網を打つのだ。取ってきた魚をさばいたり、刺身にしてくれた。友子は下の妹が生まれると祖父母のところに預けられたので、父と接したのは1,2歳の頃と、小学校1年生の頃、3年間だけ。一緒に暮らした時期は短かったが、よく遊んでくれた父だったという。

友子が小学1年生の12月に出征。広場で「ばんざーい、ばんざーい」の声の中、送りだす。駐屯地からは軍事郵便がよく届き、家族も写真を撮っては送っていた。その翌年、昭和18年、父はソロモン群島、コロンパンガラ島に向かう。しかし上陸を前に魚雷に打たれて船が沈没。生き残った人からの手紙によると、泳いで島にたどりついた人もいるが、海が火の海になり泳ぐのも難しかったとのこと。骨壺には遺骨の代わりに葉っぱ(榊の葉)が一枚入っていたとのこと。36歳での戦死。小さな娘3人を残してのあまりにも短く、あっけない人生だった。しかも戦わずしての戦死。

 


人の人生がいかに時代に翻弄されるものか。戦争は残酷なものです。高知の人の習慣で豪快にお酒を楽しみ、仕事とは別に趣味を楽しむこともできたはずなのに・・・・。平和があってこその家庭。改めて平和を求めながら、自分の番をしっかり走りぬきたいと思いました。命のバトンに感謝しながら。