池上梅園・清月庵への思い ~日本の文化を大切にしたい~

 『子どもたちには義務教育の中で一度はお茶室でお茶を味わってほしい。清月庵を使ってほしい』

10月23日、「池上の昔を学ぶ会」主催で、茶道家 中島恭名さんのお話「清月庵について」を伺いました。 (古民家カフェ蓮月の2階座敷にて)

 

 

 

 

 

 

 

 

会場の蓮月

 

大正時代・川尻邸、すばらしい建築技術 

昭和61年まで本門寺の階段下には広大な庭園がありました。大正期に活躍した数寄屋建築で有名な川尻新吉、善治親子の私邸であり、そこには茶室、料亭もあり、温室を含む庭園は1000坪ほどもあったそうです。池上華壇と呼ばれたその場所は蒲田の松竹撮影所がロケにも使ったそうです。その後、転売されても、銘木をふんだんに使った名建築はそのまま残り、樹木や池、燈篭など美しい庭は引き継がれていったそうです。

 

最後の持ち主・西田邸、解体の危機

ところが、昭和61年、バブル期、マンション業者への売却が持ちあがったので、中島さんを筆頭に近隣住民が文化財として保存を訴える運動を起こしました。残念ながら、叶わず無残な壊され方をしましたが、中島さんが部材を拾い集めて保管、再築して寄贈したものが現在の池上梅園にある「清月庵」なのです。

 

 

 

 

 

 

 

現在の清月庵(大田区池上梅園)

 

失いたくない文化財・平和の象徴

大森駅近くの山王病院の娘であった中島さんは、戦争中、焼け出されたけが人を多く見ましたが、本門寺が焼けたときに運び込まれた人が「地獄だ地獄だ」といっていたことが忘れられないとのこと。当時、本門寺は関東一大きい立派なお寺だったとのこと、小学校での遠足は本門寺、なじみのある立派なお寺が大きな炎に包まれるのを見るのはショックなことでした。だからこそ、戦争をくぐり抜けた貴重な文化財、人の手によるすばらしい建築物はなんとしても守らなければ、という思いを強くしたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

部屋の中

 

 

 

 

 

 

 

天井

 

今では清月庵を維持管理するための方策、掃除等の仕方を区に指導している中島さん、今年5月には、大田区から「景観まちづくり賞・景観づくり活動部門」を受賞しました。

 

 

 

 

 

 

 

お話をしている中島恭名さん、となりは「大田遺産の会」の野々村さん

 

中島さんは今年92歳、現役のお茶の先生です。情熱はかわらず「こどもたちには、ぜひお茶室でお茶を楽しんでもらいたい。畳の良さを感じてほしい」と繰り返し話されていました。

 

 

 

 

 

 

お茶のお弟子さんからお花を贈られた中島さん

 

今回の会には、大田図書館から清月庵に関する資料のパネルをたくさんお借りすることができました。また「大田遺産の会」の野々村さんが中島さんの著書「激動の昭和を生きて80年」を要約して資料を作ってくださいましたので、中島さんの思いの背景を知る手がかりとなりました。感謝いたします。