「この街でいつまでも幸せにくらしたい」 大田区肢体不自由児父母の会 創立60周年

2月2日、池上会館において、大田区肢体不自由児父母の会 創立60周年記念式典・祝賀会が行われました。昭和33年に障害のある子どもの擁護と家族の生活、福祉の向上を掲げて結成された父母の会。当時は、脳性マヒなど肢体不自由児者は教育においても福祉においても、社会の谷間で放置されていたと話がありました。父母の会は学校設置の要望を東京都や大田区に働きかけ、昭和44年に都立城南養護学校が開校、北療育園城南分園が開園したとのこと、その後も授産施設の設置など福祉施策の推進に大きな貢献をされてきました。

 

 

 

 

 

 

 

大田区肢体不自由児者父母の会会長 荒木千恵美さんのあいさつ

 

今はまた親や子の高齢化、また親なき後の居住の場の確保は、大きな課題となっています。
「障がい者権利条約」批准に始まり、「障がい者差別解消法」と、共生社会を目指して一歩一歩進んできた法整備がありますが、地域社会の中で共に生きている幸せを実感できることを目指さなければならないと式典の横断幕の題字「この街でいつまでも幸せにくらしたい」からは改めて思わされました。

 

アトラクション「心魂プロジェクト」より

元劇団四季のメンバーで結成しているグループ「心魂プロジェクト」が素敵な歌を披露してくれました。オリジナルの「ひとりじゃない」という歌は特に心に沁みました。

 

 

 

 

 

 

 

心魂プロジェクト

 

なぜこの活動を始めたか、というメンバーのお話も印象的だったのでちょっと紹介。

劇団四季で「ライオンキング」に出演していた時の経験。
10歳の自閉症の子どもとその親が観に来たそうです。家に帰った子どもが「次はぼく1人で行ってみたい」と言ったとのこと。貯金をためて、一人でバスに乗る練習をして、10カ月後、一人でライオンキングを観に行くことができたそうです。親から劇団四季にお礼の手紙が届いたそうです。「越えられないと思っていたハードルをいくつも越えました」と。

その経験をきっかけに、劇場に行きたくても行けない子どもがいることに心を馳せて、40歳で劇団を離れた後、重症心身障害児施設を訪ねて全国を回る活動を始めたとのこと。それまで自分の生きていた世界では「斜めから人を見る」のが普通だったけれど、重症心身障害児に出会って、「心を真ん中において、その瞬間を共に生きる」子どもやその親に出会って、歌を歌うことが今まで以上に好きになったとのことでした。

劇団の方々らしく、全身で表現しながらのすばらしい歌の数々、肢体不自由児父母の会60周年のお祝いにふさわしい心温まる舞台でした。

 

 

 

 

 

 

 

この日は電動車いすで出かけました