【きたざわ潤子のプロフィール‐1:子どもの頃の話 】 「牧場育ち」 アルプスの少女ハイジ?

2019年4月5日 16時28分 | カテゴリー: きたざわ潤子のプロフィール

1961年に高知県で生まれ、宮崎県、福島県へと移動しましたが、小学6年生までは各地の牧場で暮らしていました。父が農林省牧場勤務でしたので、山々に囲まれた広大な牧場でさながら「アルプスの少女ハイジ」のような生活をしていました(?)。広い牧草地にはホルスタインという乳牛が放たれていて、のどかな「モウー」という声がいつも響いていました。牛がいないときはその牧草地は遊び場になり、牛舎にも牛たちを覗きにいきました。大きな干し草小屋には、牛のエサである干し草が高く積み上げられていましたが、子どもたちのかっこうの隠れ家というか基地のようなものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父と。5時過ぎに帰る父とは、毎日のように牧場内を散歩。これは高知の牧場かな。

 

牛の赤ちゃんが生まれる瞬間を牛舎に見に行ったこともあります。羊もいましたが、羊は春になるとバリカンで毛刈りをされるのですが、グレーがかったうす茶色のもこもこの毛が信じられないくらいやせっぽちの真っ白な体になってしまうのが不思議でした。

枯れ川を探検したり、木登りをしたり、ターザンのようにツタにつかまって土手から飛び降りたり、小川でオタマジャクシを取ったり、周りが全て遊び場でした。

裏山は竹藪でしたので、春になると母に教えられて竹の子堀りを楽しみました。山々に囲まれているので、ぜんまいやわらび採り、さまざまな山菜を摘みました。

 

 

 

 

 

 

 

母と。

 

宮崎に住んでいた時は台風の通り道だったので、窓ガラスに板がこいをしたり、停電になって蝋燭で夜をすごしたり、大人は大変だったでしょうが、子どもとしてはけっこうおもしろがっていました。

 

 

 

 

 

 

元宮崎種畜牧場(現在は独立行政法人家畜改良センター宮崎牧場)霧島連山のふもとにあります。この牧場には3歳から8歳まで。その後は福島の牧場に。

 

鶏を飼っていたので卵をとってきたり、母が鶏を絞めて水炊きにして食べたり、畑では母が野菜もつくっていましたので、自給自足のような生活でした。牛乳はふんだんにありましたし。

後に「大草原の小さな家」というアメリカ開拓時代のドラマが大好きでよく観ていましたが、今思うと広い空や牧草地、山々を臨む私の原風景に通じるものがあったからかな、とも思います。

 

 

 

 

 

 

 

広い牧草地の区切りには美しい並木

 

 

 

 

 

 

 

牧場内の桜並木。これは冬に撮影したものですが、九州一の桜の名所、約2キロに1000本のソメイヨシノ

 

 

 

 

 

 

 

牧草地の真ん中にある木。上4枚のカラー写真は一昨年の12月に訪れて撮ったものです。

 

 

スイスの絵本作家「アロイス・カリジェ」の絵が好きなのも清々しい牧場の空気を感じるからかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アロイス・カリジェの絵ハガキ

 

今、「子どもには外遊びが必要」「まちにもっと緑がほしい」と願うのはこんな育ちも影響しているのかもしれませんね。

 


※カリジェのカードの置いてある店
Budulineck(ブドリネク)
南馬込6-30-5 梅田小学校の通り
03-3755-0251 10:30~16:00

 

 

 

 

 

 

 

「ブドリネク」の全景

たまに留守をすることがあるので、事前にお電話ください、とのことです。

ふつうのおうちですが、ご夫婦で現地から輸入したカードを小売りされています。ピアノを教えていらっしゃる奥さまとチェロとリコーダーを教えていらっしゃるご主人。ご主人は北ドイツのご出身でクロメルバイン・コルネリウスさん、桜美林大学と淑徳大学でドイツ語も教えていらしたそうです。自然を愛するお二人は庭の植物を大切にされています。カリジェファンの私は時々、カードを買いに行ってはお二人とおしゃべりを楽しみます。

 

 

 

 

 

 

カード屋さん「ブドリネク」の庭先で、ご主人と

 

 

 

 

 

 

ポスターを貼らせていただいたのでその前で