たくさんの写真や遺品など現物に丁寧な解説がついており、
講演会や朗読などのプログラムも組み込まれ、
いろいろな側面から、戦争を振り返ることができます。
毎年、必ず見に行きますが、訪れる度に
「本当にあったんだな、こんな悲惨なことが」
と、新しい発見とともに多くのことを教えられます。
今年の展示はまず、どのように戦争が準備されていったか、
という歴史的な流れから紹介されていました。
1931年の満州事変、関東軍が南満州鉄道の線路を
爆破しておきながら、中国兵のしわざとでっちあげ、
その後の満州武力占領の足掛かりにした事件から
15年戦争の歩みをたどる展示、
満州侵略における数々の日本軍の蛮行、
直視できないような残酷な写真もありました。
ガスによる殺戮も、アウシュビッツだけではなかったのです。
その他、区内の小学生の集団疎開の様子、
満州開拓団の人々の生活の様子など、
普通の人々が戦争の渦の中に巻き込まれていく様子のわかる
貴重な写真が集められていました。
8月6日・9日の広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦が
決定打となり、長い戦争に終止符が打たれるわけですが、
もうそのずいぶん前から、
1942年、ミッドウエー、ガタルカナルにおける敗北に始まって
どんどん絶望的な抗戦期に入っていきます。
けれども国民は、国外での日本軍の敗北を知らされず、
「大本営発表によって」、勝っていると思いこまされ、
気が付くと、沖縄・そして本土への空襲、そしてついに原爆によって壊滅的な被害、おびただしい戦没者を出した、
という一連の流れが、戦争の真実だということがわかります。
ここで考えておきたいのは、
歴史教育とはいったい何かということです。
それは、少しでも人間が向上するために、
できるだけ正確で客観的な事実を知って「考えること」
ではないかと思うのです。
人間だから、過ちを犯すことがあるでしょう。
そこから、何かを学んで、より豊かで、幸せな世界を
追求することが歴史教育の目的だと私は思うのです。
よく南京大虐殺や慰安婦問題のことが話題になると、
決まって「自虐的に考えるものじゃない」という人がいます。
そうでしょうか。
そこにとどまっているのなら、問題ですが、
未来に向かっていく過程で、過去の真実を学ぶことは
決して自虐的ではないと思うのです。
ドイツもオランダも辛い歴史をしっかり教育の中に位置づけ、
民主主義や政治への市民参画につながる体系的なシステムを
学校教育の中で実現していると聞きました。
真実の歴史と現在ある様々な問題とをからめて
“主体的に考えていく訓練”となるような歴史教育、
そのような教育が国作りに直結するのだという、
国家的なビジョン さえ感じます。
福島原発の事故から、すぐに自然エネルギー政策へと転換した政権、それを支持する国民性にもそれは現れているように思います。
さて、大田区教育委員会が、
中学の歴史と公民に育鵬社の教科書 を採択しました。
大田区が、子どもの未来に何を託そうとしているのか、
ここからどう読み取ることができるでしょう。
この教科書は、公平で客観的な事実認識に基づいているでしょうか。
国民主権、民主主義がどう語られているでしょうか。
特に、この東日本大震災を経験し、
政治の在り方や人権の問題を考えないわけにはいかなくなりました。
歴史教育には、これからの日本の社会にとって、
とても重要な意味があるはずです。
戦争展をみながら、また原発、被災地の方々のことを思いながら
改めてそう考えさせられたのでした。