先日、レイチェル・カーソンを日本に紹介された上遠恵子さんとお話しする機会に恵まれました。
“「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない”
という一節がある『センス・オブ・ワンダー 』に感銘を受け、レイチェル・カーソンにも上遠恵子さんにも憧れを抱いていたところ、上遠さんが義母の女学校時代の同級生ということがわかり、今回このご縁がいただけたのでした。
さて、レイチェル・カーソンは、生物学者で、代表作『沈黙の春 』はDDTなど合成化学物質、農薬の危険性を訴えたものです。
薬学部を卒業され、自然や農薬にも関心がおありだった上遠さんがこの本を訳されましたが、自然環境保護の象徴ともなった話題作でした。
上遠さんからこのレイチェル・カーソンのことなどいろいろお話をお伺いすることができました。
出版された1960年代は、戦後の産業復興、豊かさを求めた開発邁進の時代です。
殺虫剤で害虫を駆除することで、生産性を上げようという流れの中で、化学物質の危険性を訴えたこの本は大変センセーショナルなものだったようで、レイチェルは攻撃を受けたということです。
「ヒステリー」だとか、「子どもがいないのに遺伝子を心配しているとは?」だとか。
でも時の大統領ケネディが関心を示し、調査を命じた結果、農薬の危険性が証明され、DDTの使用禁止、環境保護の支持が広がったといいます。
1970年には環境庁ができ、1971年には日本にも現環境省の前身である「環境庁」が発足しました。レイチェルの警告は評価され、世界中に影響したわけです。
自然を愛する心「自然を守ろう、やがては、それが人間に戻ってくる」、人間も自然の一部「共生」という信念が、科学的な調査に基づいた説得力のある書物を生み出し、自然保護運動の先駆けにもなったのです。
さて上遠さんからお聞きしたレイチェルの子ども時代のことです。
レイチェルの母親は牧師の娘で、教師の資格も持つ知的好奇心の旺盛な人だったとのこと。
ちょうどアメリカでは、20世紀初めに「自然学習運動」が起こり、母親は幼いレイチェルと手をつないで、森を歩いたということです。
小学生には自然解説の手引きが配られ、国をあげて、自然の大切さを知り、自然を擁護する機運が高まっていたそうです。
レイチェルは森を歩きながら、自然のおもしろさ、不思議さ、すばらしさを存分に味わったことでしょう。
それと共に母親(牧師の娘)が、命を与えてくれる神様のこと、地球上の生き物は全て関わりあっている、共に生きている、ということを語ってくれたのです。
みずみずしい感性の子ども時代に、自然に触れたこと、またその自然の「意味」を母親の言葉から受け取ったということは、自然への愛情と共に「この大切なものを守ろう」という勇気と信念を育んだのではないか、とのお話でした。
上遠さんが、ある幼稚園の講演会で、「自然を感じ取る感性を育むのは今ですよ」と話したら、あるお母さんが、「自然体験をしたら、どんないいことがあるんですか」と質問してきたということ。
世の中がなんでも便利になってくると、子どもの教育も、自動販売機のような、すぐに結果が出てくるものを求める人が増えるのかもしれません。
体験が培う「感性」は、その人の生き方、どの方向を向くのか、何を選び取るのか、ひいてはどんな生涯をおくるのか、意識的にでも無意識的にでも、選び取るときの「ものさし」の材料になるのではないでしょうか。
「自然体験や感性」そして「自然への畏怖」や「自然への愛情」が、「詩人」を生み出すかもしれないし、「登山家」かもしれないし、「自然科学者」かもしれません。
またどこにでもいる普通の母親になって子どもとハイキングを楽しむのかもしれません。
即効性もなければ、目に見える「評価」といえるものではないでしょう。
でも私たちの生きている土台である自然を愛し、守ろうという意思があるということは、「人として生きることの確かさ」につながるような気がします。上遠さんは、まっすぐな優しいまなざしの方でした。
自然環境やエネルギー問題、小さな子どもの教育、尽きることのない話題のなかに、レイチェルから受け継いだ「感性」と「意志」が伝わってくるような心強く豊かな時間でした。
さて、人間も大きな自然の営みの調和の中のその一部である、だからこそ自然への畏敬の念を持ち、謙虚であるべきである、ということを教えてくれたレイチェル・カーソン。
彼女が今生きていたら、放射能漂う、今の日本の状況をどう見るのでしょうね。