詩を味わう まどみちお・詩3つ ~100歳を越えて活動し続けた詩人 瑞々しい感性は全く老いない

まどみちおさん」は、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」の童謡で有名な詩人、今年の2月28日に104歳で亡くなりました。
子どものような純粋な優しいまなざしで、この時代に対しての警告をもうたっていることを、知りました。
次の詩は、地球という生命にみんなつながっているんだよ、自分の原点を忘れないで、と呼びかけているようです。
この詩のつくられた1985年より「今」はもっと深刻です。頭と足がしっかり連動した、いい体を取り戻すにはどうしたら、いいでしょう。

『頭と足』
生きものが 立っているとき その頭は きっと 宇宙のはてを ゆびさしています なんおくまんの 生きものが なんおくまんの 所に 立っていたと しても・・・
針山に さされた まち針たちの つまみのように めいめいに はなればなれに 宇宙のはての ほうぼうを・・・  
けれども そのときにも 足だけは みんな 地球の おなじ中心を ゆびさしています
おかあさあん・・・ と 声かぎり よんで
まるで とりかえしの つかない所へ とんで行こうとする 頭を ひきとめて もらいたいかのように
・・・・・・・ 「宇宙のうた」より 1985年

まどさんの詩からは、大いなるものに抱かれて、それを信頼して身をゆだねているように感じます。その信頼の中での感動、驚き、同時にそれは、「謙虚さ」であり、「感謝」につながっているように思えます。この世界は「?」と「!」で、いっぱい、というのが、まどさんの世界観です。そんなに「感性」全開で生きたら、神さまも人間を創った、創り甲斐があったと思われることでしょう。
壮大な宇宙を見ながら、どんな小さなものにも心があることをうたっているまどさん、だから平和や、幸せを願う地球の生命たちの祈りになって聞こえてくるのかもしれません。子どもたちに、そして世界中にまどさんの詩を伝えていかなければ、と思う所以です。

『さくらの はなびら』
えだを はなれて ひとひら
さくらの はなびらが じめんに たどりついた
いま おわったのだ そして はじまったのだ
ひとつの ことが さくらに とって
いや ちきゅうにとって うちゅうに とって
あたりまえすぎる ひとつの ことが
かけがえのない ひとつの ことが
・・・・・・・「にじ」(文芸春秋)より

まどみちおさんを、「地球上のあらゆる存在に平等に敬意を払ってきた詩人」、と評した人がありました。ありでも、りんごでも、みちでも、いぼでも、詩の中では、それらがまるで人格があるかのようにくっきり存在感が浮き立ってきます。その存在を認めてもらったものたちは、待ってました!とよろこんだにちがいありません。今頃、まどさん、天国で、地球上の全ての存在となかよく交流していることでしょう。
まどさんの言葉に、“現在を肯定的にみられることのできる人はしあわせです”、というのがあります。 自分たち、老夫婦の生活をうたった詩が、実に朗らかです。 妻のスミさんは、アルツハイマーで、まどさんは、毎日へとへと。でもある日、「アルツのハイマーくん」と呼ぶようにしてからは、違う世界が開けてきたそうです。

『トンチンカン夫婦』 満91歳のボケじじいの私と 満84歳のボケばばあの女房とはこの頃 毎日競争でトンチンカンをやり合っている
私が片足に2枚かさねてはいたまま もう片足の靴下が見つからないと騒ぐと 彼女は米も入れていない炊飯器に スイッチ入れてごはんですようと私をよぶ
おかげでさくばくたる老夫婦の暮らしに 笑いはたえずこれぞ天の恵みと 図に乗って二人ははしゃぎ 明日はまたどんな珍しいトンチンカンを お恵みいただけるかと胸ふくらませている
厚かましくも天まで仰ぎ見て…
・・・・・・・NHK特集「まどみちお百歳の詩」より

「年を重ねただけで人は老いない         理想を失う時に初めて老いがくる」
by サミュエル・ウルマン