子どもの権利条例東京市民フォーラム
“いじめ”はなぜ繰り返されるのか? 子どもの権利条例東京市民フォーラムのつどいに参加してきました
先日、以下の市民フォーラムに参加してきました。 概要および要旨について、ご紹介いたします。
第12回 子どもの権利条例東京市民フォーラムのつどい “いじめ”は、なぜ繰り返されるのか 子どもたちのSOSと子どもオンブズの役割・活動
《2012年12月22日・東洋大学白山キャンパスにて》
基調講演
『「いじめ」問題をどう捉え、対応すべきか』 喜多 明人(早稲田大学・子どもの権利条約総合研究所代表)
・「いじめはある」ということを前提として、大きくしない対策を。 ・厳罰主義からの転換を!「子どもの権利条例」は「子ども・学校支援条例」 ・「共に生き・学ぶ」子どもの参加型の学校づくりこそ “結果的にいじめが発生しない”学校活動をめざす
講師は、喜多明人さん
1、深刻化するいじめの問題
1980年代、校内暴力対策の一環として、「管理教育」が徹底されてきた。この管理教育は“抵抗できない権力関係”を形成し、そこから生まれるストレスが「弱者」に向かう「いじめ」となった。
この管理教育の一般化は、学校社会における“子どもの自治”を衰退させ、子どもの受身的姿勢と自己肯定感の低下をもたらし、そのことが「いじめ」の“歯止め”をも失わせた。
また早期教育や競争主義は“学力は上がっても学習意欲は低下”、という“偽りの自己形成”に通じ、これもいじめや犯罪の温床になった。教師の多忙化も一因。
2、なぜ、いじめが解決しなかったのか -子どもの権利の視点の欠落
教育界では「いじめ根絶」を合言葉に、「いじめがないことが善」、「あることが悪」という物差しで見る傾向がある。結果、学校評価、教員評価、教育行政評価としても、「いじめ」はできるだけ「なかったことにしたい」と考えがち。
また、遺族や被害者が裁判を起こしたとき、教員や学校が「過失責任」から「賠償責任」を追及されるようになってきた。結果、学校現場は自己防衛意識から、原因究明や情報提供に消極的になってきた。
つまり、大人側、学校・教育委員会の思惑、利害が優先し、子どもの声や「気持ち」に応え、寄り添う視点が欠落し、結果、根本的ないじめの解決に向かわない。本来、原因究明は、再発防止のためであり、子どもたちの利益のためであるはずなのに。
日本は、1994年に国連・子どもの権利条約を批准し、国内法として受け入れているが、そこに示されている「子どもの最善の利益」「子どもの意見の尊重」などが空文化している。
3、解決に向けて・子どもへの人権教育
深刻ないじめは、致命的な精神的被害をもたらす。暴行・傷害などによる生命権、身体権、自由権の侵害、略奪などによる財産権の侵害、精神的な攻撃による名誉権、人格権、プライバシーの侵害など、基本的な人権、人間の尊厳を脅かす。
しかしながら、多くの子どもは「自分が悪いからいじめられる」と自分を責め、いじめの不当性に気付かず、したがって、助けを求めることができないケースが多い。
人間としての権利を根こそぎ奪われ、SOSを出すエネルギーすらなくなり死を選ぶ子どもが出てくるのはあってはならないこと。
「権利」を知り、「権利侵害」を認識できてこそ、「助けを求めていいんだ」ということに気付く。そのことが「いじめ」救済の出発点になる。
人と違っていることを認め合う教育、子ども参加型で、本当にやりたいことに没頭できる教育によって、子どもの自己実現がはかられ、“結果的にいじめが発生しない”学校活動をめざす。
4、解決に向けて・学校を支えるシステム・制度の構築
■原因究明・再発防止のために・・・第三者調査機関の設置 ■安心して相談できる第三者救済機関 子どもの人権オンブズパーソン ■無過失責任主義に立つ学校災害補償法の制定
学校や教育委員会には、「人間の顔」を取り戻し、「子どもの最善の利益」を貫けるようになってほしい。そのためには、教育活動の委縮を避けるための法整備も必要。
現行の法制では、被災者・保護者は、納得のいく原因究明を求めていくためには、損害賠償請求の裁判しかなく、公務員の過失が立証されてはじめて賠償責任が生じる。この法制がストレートに学校、教育委員会の現場に適用されているために、自己防御意識が常態化してしまう。
過失があるかどうか、理由の如何にかかわらず学校災害の救済が行える法制度の確立が急務である。
以上、講演の要旨です。
フォーラムでは、その後、目黒区、世田谷区、豊島区での「子ども条例」や「子どもの人権擁護」の仕組み作り、チャイルドラインの活動などが紹介されました。
さまざまな具体的な課題に取り組むにあたって、やはり「理念」が大切であること、だからこそ、作っていく過程、自治体として理念を共有していく作業がとても大事であることを感じました。
大田区には、まだ「子ども条例」がありませんが、近い将来作られることを望みつつ、そのための努力をしようと思ったひとときでした。子どもたちが決していじめで自殺などすることがないように、毎日毎日を生き生きと過ごせるように、心から祈るものです。
以下に、豊島区子どもの権利条例前文をご紹介いたします。