呑川を歩けば ~蒲田から仲池上までウォーキング~

今月25日、“呑川の会”の方たちに呑川の歴史・自然について解説をいただきながら、呑川の蒲田から仲池上までを歩くイベントに参加しました。呑川の“昔と今”から学ぶことがたくさんあり、とても興味深く、楽しいウォーキングでした。

  スタート地点・あやめ橋(蒲田1丁目)

蒲田東口・京急蒲田に向かう大通りに「あやめ橋」があります。
昔、ここに大きな“菖蒲園”があったことに由来する名前だそうです。
明治30年頃、京急蒲田駅からブックオフのあたりまでほどある、大きな菖蒲園があり、そこに流れる呑川には100メートルの藤棚。壮観な眺めの観光名所だったようです。

この観光名所にぜひ駅を、ということで作られたのが京急蒲田駅、明治37年。
(ちなみに蒲田西口に駅ができたのは、大正11年だそうです)

美しく、静かなその菖蒲園一帯の景観に魅せられてやってきたのが松竹撮影所。菖蒲園は、映画のロケによく使われ、蒲田が松竹キネマ映画街として栄えたのも菖蒲園のおかげだったそうです。今は、橋の名前以外にその面影が全くないのが残念です。

蒲田の繁栄といえば、たとえば日本工学院は、もともとは、“絵画と洋裁”の学校だったとのこと。テレビ時代を迎えて、昭和37年に「日本テレビ技術専門学校」に転換、全国から生徒が集まってきたそうです。

時代を読んで、発展してきたのが蒲田と企業。ナムコ、TOTO、ノリタケ・・・、職住一体の職場環境の黒沢タイプライターなど・・・それぞれ蒲田発祥の会社だそうです。今は、(株)マテリアルが「下町ボブスレー」の先導役をしていますね。

双流橋(西蒲田1丁目) 氾濫で有名だった呑川

この橋の名が表すように、分水堤がある場所がいくつかありました。蒲田・大森の2方向に分かれて農業用水を流していました。

豊かな水量の呑川だけに、農業用水としては大切ではあっても、分水提があるせいで、大水のときは、水がまっすぐに大量に流れないため、、上流の池上地区はいつも氾濫の被害に。陳情や住民運動が絶えなかったそうです。そこで川の流れ方を変える工事が昭和の初めから始まり、それ以降も川幅を広く、深く、まっすぐにする改修工事が続きました。

それにしても現在のコンクリート3面の呑川は“自然環境”との調和の点で、どうなのかと感じます。呑川の会の方にそのことを質問すると、

“国道交通省の定める「河川法」には、はじめ利水と治水の観点しかなかったので、当時の工事ではやむを得なかった。しかし平成9年の「河川法」の見直しでは、環境への配慮(近隣住民の声を聴く)も盛り込まれた”とのことです。といっても、近隣住民が声を大きくしていかなければ、法律が生かされていかないというお話でした。

なるほど、川にも私たち自身がしっかり関心をもって、考え、発言していかないといけないですね。さすが、呑川の会は、東京都建設局に意見を出しに時々行っているそうです。

馬引橋(西蒲田4丁目)

「馬引き」という名の由来は、関東大震災以降、海から盛んに材木が運ばれたそうですが、材木を積んだ船をひっぱるために呑川の両岸を馬が歩いたからだそうです。そして当時、呑川の両側には、材木屋が多かったそうです。木といえば、本門寺の杉も切り出されて、堤方橋などの橋に使われたそうです。当時はうっそうとした森だったということでしょうか。

養源橋(池上1丁目)・呑川の生き物。
 外来種が多いことが問題

“ミシシッピーアカミミガメ”をもっともよく見かけました。泳いでいたり、こうら干しをしていたり、走っていたり(けっこう早いのです)、大小たくさんいます。養源寺付近が最も多いようです。獰猛で雑食、稚魚をたべてしまうので、生態系が崩れる恐れがあるとのこと。

2,3年前、話題になった「アリゲーターガー」は幸い産卵前に捕獲できましたが、もし産卵していたら、大変なことになっていたということです。アリゲーターガーは、おそらく多摩川に流されたものが、海老取り川経由で呑川に来たのではないかと。下水処理をした水は温度が高いので、アマゾン生まれのアリゲータガーには、居心地がよかったのではないかということです。

 

 

ユスリカ

呑川上流の石川町あたりは、ユスリカの発生が多く、大群にぶつかると目や鼻に入ってしまう厄介者です。これは、呑川の水が下水処理場からの水100パーセントで、窒素やリンを多く含むことに原因があるそうです。栄養豊かな水は藻を育み、その藻の中にユスリカが卵を産み付けるというわけです。

現在は、週に一回、その藻をはがすために大きな機械が入りますが、反対に藻がなくなると、それを餌にしている魚やカルガモには生きにくい環境になってしまうそうです。

ユスリカはいやだけど、カルガモの親子や魚にも住んでほしいとも思います。魚や鳥を育みながらのユスリカ対策はないものでしょうか。コウモリやツバメがユスリカを食べるそうですが。“自然界はうまく調和している”とよく言われますが、人間の介在によってそれが崩され、結局は人が自分の首をしめることになる場合もあるのかもしれませんね。

なぜ、呑川は臭くなるのか

雨が降ると道路から呑川に直接雨水が入ってくるのと、雨水が入り込んだ下水道管がいっぱいになり、その入りきらなかった分が、トイレからの排水もいっしょに呑川に注がれてしまうので、汚れて臭くなってしまうそうです。

都会ではどこもコンクリートで覆われ、土の部分がほとんどなくなったので、雨水がしみこんでいく場所がありません。下水道を合流式ではなく、分流式にすれば、解決するといわれていますが、東京都はまだ80パーセントが合流式。部分的に工事するわけにはいかず、かといって全部をやりかえるのは、急にはできない話です。

コンクリートに囲われた都会、もっと土の部分を増やせばよいのでは、と思いました。大田区では水質浄化のために「やかた船」を浮かべて、高濃度酸素水を川に送り込んでいます。バクテリアの働きで、水をきれいにするしくみですが、ゴミを捨てる人がいたり、大雨が降ると効果が薄れます。

このように呑川を通して、大田の歴史・自然環境・まちづくりといろいろなことを考えさせられた散策でした。呑川の会の方々に感謝!

 

桜が水面に映える春の吞川 (池上5丁目付近)