古民家の魅力「池上・蓮月」

古民家にはとても魅力を感じます。子どもの頃、田舎で育ったので、土間や囲炉裏のある農家の友人宅に遊びに行ったことや、子どもの頃住んでいた家には、暖 かな縁側があったことを懐かしく思い出すせいもあるかもしれません。日本建築の家屋にいると、なぜか心が落ち着くのです。

日本の風土に あった木と紙という素材は、適度な通風、湿度調整の役目を果たします。木にぬくもりを感じるのは、「呼吸する」自然界の仲間だからでしょうか。木の性質を 活かしながらの大工さんの技。日本建築の美しさは、人の生き方を支えるほどの精神的な器といってもいいかもしれません。年季が入ってまた味わいが増してく るのが不思議です。

池上の古民家「蓮月」

池 上の「蓮月」という歴史あるお蕎麦屋さんが、昨年6月にお店を閉じられました。近隣の人たちは、長く親しんできたお蕎麦屋さんがなくなったことを残念に思 いながら、風格のあるこの建物が今後どうなるのか、心配な思いで見守っています。蓮月について、6月までお店を営んできた眞野さんのお嬢さん(鈴木みさ江 さん)にお話を伺いました。

 

 

 

 

 

 

 

蓮月の歴史

昭 和の初期に建てられた特徴ある建物ですが、みさ江さんからみて、祖父にあたる方が、蓮月に入ったのは、昭和34年。それ以前は、1階が蕎麦屋で、2階が、 本門寺の参拝やお墓詣りの人の民宿、旅籠だったそうです。おじいさんの代になると1階は蕎麦屋、2階は、10畳、10畳、12畳の座敷と大きな床の間を利 用して、結婚式や披露宴も行われていたそうです。現に6月までお蕎麦屋さんをされていた眞野さんご夫妻(みさ江さんのご両親)は蓮月で結婚式をあげたとの こと、我が家の近所の90歳の方は、稲荷神社で結婚式を挙げて、蓮月で披露宴をしたそうです。

・昔の万灯行列の帰りのルートは蓮月の前
昔 のお会式は、本門寺がまだ山で、万灯を解体する場所はなく(現在は社務所の前〉、また馬込の方に降りる道もなかったので、万灯行列はみんな蓮月の前の道を 通って池上駅の方向に帰って行ったそうです。そのせいで、人通りは今よりもっと多く、店は、表から庭まで座敷をぶち抜きにして、出入りを両方に作っておそ ばを出したほど、大勢の客でにぎわったそうです。

まだ朗峰会館やお休み処もなく、外食できるところはまれだったころの話です。お会式、お 彼岸、大みそかは特に忙しく、みさ江さんは、お嫁に行った後も、この季節は店の手伝いをしたそうです。先代の時は、うなぎ、かき氷、ところてんも出してい て、住み込みで働きながら、修行していた若者もいたとのことでした。

維持・活用に向けて

2 階は床の間のついた12畳、10畳、10畳の広い座敷、襖で区切っても使えます。1階は、土間と座敷、大きな厨房があります。壁には、銭の単位の料金表が そのままかかっています。洗面所とトイレと風呂、お風呂は壊れていて使えませんが、扇形の湯船がついた風呂場はかなり広く、これも独特の風情があります。

柿、梅の木のある庭は、灯篭もあるので、以前は日本庭園になっていたのでしょう。

地域の人たちが、蓮月を残してほしいという思いで大田区議会に提出した陳情と署名317筆。5年生の男の子が「僕はあの建物が好きだから残したい」と言って、一人で、署名を集めてくれたのには驚きました。しかし待っていても大田区としての動きは見られず、思いのある人で動き出すしかありません。

このたび、「OTA古民家活用プロジェクト」が立ち上がりました。まずは、蓮月をどのように活用することができるか、わいわいとアイデアを出し合いながら、考える場を持ちたいと思います。どんな事業を、だれが、どのように、展開できるのか、難しい課題はありますが、3人よれば文殊の知恵?

日本建築・日本文化を味わうことのできる歴史・文化・観光資源として活かす道を考えるプロセスも大事ではないか、と考えるのです。

地域の人とともに考えながらの一歩一歩の歩みにこそ、価値があり、それを味わっていきたいと思います。いっしょに夢をのせていきませんか。

池上「蓮月」の活用を考える集い
2月11日(水・祝)10:00~12:00
蓮月にて

※詳しくは次回のブログで