高浜原発再稼働 認めず 福井地裁 初の仮処分と「人格権」

関西電力高浜原発3,4号機の安全対策は不十分として、周辺の住民が再稼働差し止めを申し立てた仮処分で、福井地裁は14日、原子力規制委員会の新規制基準は「緩やかにすぎ、合理性がない」と指摘、基準に適合していても再稼働を認めないとの決定をした。原発運転禁止の仮処分は全国初。訴訟の判決と異なり、決定は直ちに効力を持つ。(4月15日東京新聞)

今 回の福井地裁の判断は本当に喜ばしいことです。“想定を超える地震は来ない”、“新基準を満たせば大きな事故にならず、外部からの支援なしで、数十人の作 業員だけで事故収束できる”など周辺住民には到底納得できるような安全性の根拠もありません。これからの原発のあり方を基本的にどう捉えるか、私たちが、 もう一度しっかり考える判断材料がまた与えられたように思います。

この処分の要旨にもある「人格権」について考えたいと思います。

人格権
再稼働すると250キロ圏内の住民の生命や利益に関わる人格権が侵害される具体的な危険があると述べています。

この判定を下した樋口裁判長は、関西大飯3,4号機の差し止め訴訟も担当していて、その判決の際、「自然災害と戦争以外で人格権が広範に奪われる可能性があるのは、原発事故の他は想定しがたい。具体的危険性が万が一にでもあれば差し止めが認められるのは当然だ」と「人格権」に言及しています。

憲法の中で保障されているさまざまな権利の中で、最も優位とされるのは、この「人格権」と言われています。経済効率よりも人の命の方が大切だという判断が下せるのは、この憲法の理念「人格権」によるのだと思います。

さて、この「人格権」、自由民主党の憲法改正草案ではどうなっている?

現行憲法
13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


自民党案
13条
全て国民は、として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

自民党の改正案でいわれる、“公益及び公の秩序”とは一体何でしょう。
秩序とは、だれがどう定義するのでしょう。時の政権の思想に合致するものを“公の秩序”と定義されたら、大変です。今回の司法の判断をみても、いかに憲法が大切かを私たちは知りました。改正案には慎重にならなくてはなりませんね。