戦争はまだ終わっていない。 毒ガス・細菌兵器の被害者たちの明日を見つめて~日中友好写真・パネル展
8月16・17・18日に大田区産業プラザPIOにて開催された
「戦後70年 明日への思い~日中友好写真・パネル展
毒ガス・細菌兵器の被害者たちの明日を見つめて」
に行ってきました。
写真展の入り口で
遺棄された毒ガスは今も悲劇を
つ くづく戦争はまだ終わっていない、ことを知らされました。旧日本軍が作った毒ガスは今も中国全土に大量に遺棄されたままになっていて、地面に埋められてい たものが建設現場で、悲惨な事故をもたらしています。その結果がどんなに残酷なものなのか。この展示会では貴重な写真やドキュメンタリー映画で知らせてく れました。
中国各地で使用されていた化学兵器の分布図
た とえば、たまたま建設現場から出てきた毒ガス剤の入ったドラム缶。漏れ出した液体が土をぬらし、その土に触れただけで、大変な健康被害をもたらします。体 中に水疱ができ、免疫機能が衰え、働くことも自立した生活を送ることも困難になり、人生が、家庭が破壊されるのです。病気の苦しみに加えて、莫大な治療費 は、家族を困窮に陥れます。現在、中国では子どもを含め、戦争を知らない世代の人たち、2,000人以上の人が被害にあっているそうです。
被害者の足
化学兵器の製造と実戦使用
旧 日本軍は1931年から1945年まで6,000トンもの毒ガスの製造を行ってきました。広島県の大久野島が製造拠点で、そこから中国に運ばれ、実戦に使 われたのでした。たとえば、110師団は河北省のある村で、村民が隠れている地下道に窒息性毒ガスを投入して、子どもを含む800人を殺害しました。有名 な731部隊はペスト、炭疸、コレラ、結核、チフスの研究と中国人を使っての人体実験をしていました。
毒ガスを扱うときに、元日本兵がつけたマスク
国際条約違反、現在の被害者への責任は
化学兵器は人道の精神、生命倫理と医学の原則に違反するということで、ヴェルサイユ条約でも、国際連合、ジュネーブ議定書でも禁止されていたのです。
だ からでしょう。軍は敗戦と同時にそのことを隠ぺいするために中国にある工場や倉庫を破壊し、あちらこちらに隠して逃げました。ある日本兵の証言では、軍の 命令で急いで廃棄しなければならず、井戸に投げ込んだとのこと。そうとは知らずにその水を飲んだ、多くの中国人たちが、ヒ素中毒に今も苦しみ続けているの です。
元軍人は、もっと早く証言をして、中国の人たちを救うことができなかったのか、日本政府はわかった時点で調査と撤去作業を行うことができなかったのか、日本政府は被害者に対して保障ができないのか、疑問とショックでいっぱいです。
毒ガス弾が180万発、毒ガス剤100トンが未だに中国大陸全土に分散しているそうです。
基金の創設
一 刻も早い医療支援や生活支援が必要です。日中両国の民間団体で、「化学兵器および細菌兵器被害者支援日中未来平和基金」が設立されました。このことを記念 して今回の写真展が開催されたそうですが、この基金が大きく広がり、多くの被害者に医療支援、生活支援が行きわたることを心から願うものです。
歴史をみつめること
戦 争とはどんなに野蛮な行為を生み出してしまうものなのか、日本は中国にどんなひどいことをしてきたのか、改めて知る機会となりましたが、このような写真展 を本当に多くの日本人に見てもらいたいと思いました。悲しみの歴史は今につながっていること、その真実にきちんと向き合うことをせずには、本当の友好関係は結べないでしょう。そのうえで、新しい未来を模索していくべきです。