第37回「大田平和のための戦争資料展」に行ってきました

平和の祭典「リオ・オリンピック」は終わりますが、平和は永遠に!

第37回「大田平和のための戦争資料展」に行ってきました。

 

招集令状が来た、戦地に赴く兵士へ

 

 

 

 

 

 

招集令状が来た、戦地に赴く兵士へ

 

あたりまえの生活がいつまでも続きますように

戦争や平和にちなんだ俳句が紹介されていて、自分の好きな句を投票するようになっていました。どれもなかなか良いので迷いましたが、私がいいな、と思ったのは、

「生きるには戦車はいらぬ耕運機」春田成規78歳
「平和よし車窓に木の芽また木の芽」高橋政雄67歳
「今日もまた子どもの布団かけ直す」山本博之42歳

あたりまえの生活の大事さが実感のこもった言葉に凝縮されていますね。

 

少年の目で見た戦争をする日本とは・・・小池仁さんのお話

東六郷にお住いの小池さんは現在86歳、川崎で育った子ども時代と戦争になる過程から戦後にかけての社会の変化を昨年「戦争をしてはならない本当の理由」という画集として出版されました。

小池さんのお話は、戦争の中で子どもたちがどのように育っていったかを垣間見るようでしたが、なかなか想像しにくいものの「教育」の影響の大きさを感じるものでした。

明治天皇の頃に生まれた、徴兵制や教育勅語と同時期に生まれた「少国民」という言葉。その意味は「天皇の赤子」であり、天皇のために尽くすことが名誉ある生き方であるという教育の中の考え方であり、日本人はその洗脳教育によって育てられたのです。

 

紙でできたランドセル

 

 

 

 

 

 

紙でできたランドセル(皮などは手に入らないので、当時は代用品が多かったそうです)

 

小池さんは、「少国民」を2つの世代、第1世代は戦争に直接かかわった世代、第2世代は、もう少し若く、地方に疎開して、直接は戦争に関わっていない世代と分けました。

小池さんは第1世代なので、直接戦争に関わった世代です。小学校5年では体操の時間に士官学校の将校が来て、戦闘訓練のような教練と呼ばれる授業を受け、こ れはすでに特攻隊の予備軍だったそうです。中学になると軍需工場に行き、14歳で予科練に入り、自分は特攻隊になって死ぬんだ、と考えてすごしたそうで す。

第1世代は満足に勉強ができなかった、「生活」といえるものもなかった。食べるもの、生活物資がない。軍に没収もされた。農家に食べ物を求めていっても農作業をする人がいなくなっていて、あるいは戦地に物資が送られていて、食べるものを手にいれられなかった。

敗戦の時は14歳。それまでずっと“個が認められない、自分のことを考えること”が許されない教育を受けてきたので、戦争が終わって、すっかり目標がなくな る。学校へ戻りたくてももう学校は卒業の時期。どう生活をしていったらよいか、途方にくれたのが、「少国民」第1次世代だということです。

 

国民服

 

 

 

 

 

 

国民服

 


 

86歳とは思えないほどの張りのある声で、熱く語られた小池さん。“自分の考えを持つ”教育の大切さ、社会を替えるためには選挙が大切だということを最後に語られました。まだまだやらなくてはならないことがある、とお話されたのも印象的でした。

「戦争」の真実を知って、平和のあり方を考えることが本当に大切です。

今年もまた多くのことを教えられた「戦争資料展」でした。開催の労を取ってくださった方々に心より感謝いたします。

 

小池さんと。

 

 

 

 

 

 

小池さんと。画集を持って