泣くことが許されなかった赤ちゃん「虐待を受けた子どもの育ち」 第19回こども笑顔ミーティング

子ども笑顔ミーティングは、いろいろな現場から子どもの実態の報告を受け、問題解決のために活動をしている団体です。2月25日に第19回のミーティングが行われました。この日は一時保育の活動を長年続けてこられた古澤里美さんのお話を伺いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣かない赤ちゃん、児童相談所での一時保育の現場から

里親が研修を受けている間に、里子である子どもを一時保育する活動を10年続けてきた経験から。ここで出会う子どもたちの多くは虐待を受けてきた子どもたち。
驚くのは、1,2歳なのに泣かないこと。小さい子どもは不安な時、その感情を“泣くこと”で表現するもの。泣くことが赤ちゃんの言語なのに、泣くことを許されてこなかったのです。泣いても振り向いてもらえない、無駄だと思ったか、泣いたら暴力をふるわれたか。
泣くことのできない子どもたちは、その不安な気持ちを入口のドアにしがみついて離れないことでしか表せないのです。
「イヤ」という感情を出せないことほど辛いことはないのではないでしょうか。「イヤ」という気持ちや「これをして」という気持ちは、それを受け止める大人がいて初めて表現できるということがわかる、悲しい事例です。

⇒子どもの表情や感情を受け止める大人の存在は重要。感情を表現することを抑えられた子どもに対しては、個別に、日常的に支援しなければならない。信頼できる大人に出会える社会にしたい。

 

DVも虐待も“日本社会の平等感の欠如、上下関係ばかり、経済優先の社会”から

DV被害の子ども・夫婦のDVを見て育った子どもは後天的な発達障害のようになることが多い。すると親子のコミュニケーションがとれなくなり、子どもはますます人を信頼できなくなる。日本社会の人との関係性における“上下感”、“経済優先の社会”を変えない限り、DVも虐待もなくならない。

⇒いろいろな人と関わる中で人は変わっていける。日常的に人と声を掛け合うことのできる関係性が大切。

 

しつけなのか、虐待なのか

古澤さん自身は大家族で育った。しつけは厳しかったが、一方では、温かさを感じていたから心に傷は残らなかった。しつけと虐待の線引きは難しいところもあるが、子どもがどう感じているか、ということが大事。過剰な教育により子どもの発達が阻害されるほどのものなら虐待といえるのではないか。
「子ども虐待とは、子どもが耐え難い苦痛や、為すすべのない無力感を味わうこと。虐待を受けた子どもは、非常に低い自己評価が特徴的に顕れる。それは保護者から“おまえは何をしてもだめなのだ”“いらない子どもだ”というメッセージを有形無形に受け、自分を肯定できなくなるからである」

⇒母親のストレスなど理解して支えることが重要。


この日は古澤さんの報告に触発されて、後半は活発な意見交換会となりました。みなさん、支える側にどのようにしたらなれるのか、真剣に考えたひとときでした。
子どもたちの感情を受け止めることのできる大人、信頼できる大人にたくさん出会える社会を創っていきたいものです。