【ご報告】講演会「子どもが生きる力」を守る  ~子どもの貧困と子どもの権利~

講演会「子どもが生きる力」を守る

~子どもの貧困と子どもの権利~

認定NPO法人 こどもの里 理事長 荘保 共子さん

「子どもの権利条約フォーラム2018 in とちぎ」にて

 

入口

 

 

まず「さとにきたらええやん」という「こどもの里」を舞台にしたドキュメンタリー映画を観ました。
「こどもの里」とは

 

 

日雇い労働者の街、大阪市西成区にある釜ヶ崎では、不安定雇用、貧困から様々な問題を抱える家族がひしめき合っていますが、その中でたくましく生きている子どもたちとそれを支える「こどもの里」の活動が紹介されました。しんどさを抱える子どもたちには同様に家庭にもしんどさがあり、1977年から開設している児童館、こどもの里は子どもとその家族を支える大きな“地域の家族”のような役割を果たしています。その包容力には圧倒されるばかりですが、行政でありがちな、枠に子どもをはめるのではなく、その子どもや家族に応じた対応、究極“子どもに寄り添う”活動には感銘を受けます。なにより子どもたちの生き生きとした表情が印象的で、“共に生きる”居場所が、今、求められているのだということをつくづく教えられました。講演から荘保さんの言葉を紹介いたします。

 

 

 

 

 

 

 

表題

 

“子どもの目の輝き”は私を変えた。

子どもには凄い力がある、感性がある、人とつながろうとする力がある、親を慕う力がある。その力を守り、育みたい。

1970年釜ヶ崎に初めて来たとき、日雇いのスラムの中を子どもはうろうろしていた。
子どもの遊び場をつくりたいと思った。学童保育をする中で、様々な子どもが出入りする。右手に弟、左手に妹、赤ちゃんを抱いている。8人姉弟。おむつを替えていた。「ここは大きい子や赤ちゃんはこれないんだよ」とは言えなかった。遊びの用意はしなくても、みんな自分で選んでやりたいことをして本気で遊んだ。

・ごっこあそびから見える子どもの生活。父ちゃんが「いってきます」といって、すぐに「あぶれたよ」といって帰ってきた。母ちゃんが「あんたまたパチンコに行くんでしょ」という。その日、父ちゃんは仕事につけなかった。父ちゃんが家にいるということはお金がないということ。「遠足のお弁当を作って」とは、言えず、学校を休む。父ちゃんにおばあちゃんのところにお金を借りに行かされる。おばあちゃんは「前の貸しがある」と言って貸してくれなかった。パチンコ屋に行って、玉を拾って、100円ずつもらい、母ちゃんにお金を渡した。

・野宿者の8%は女性。DVを受けてきた人には居場所がない。子どもが行き倒れの女性を見つけて、「だいじょうぶ?」と声をかける。おまわりさんに「なんとかして」というと「ほっとけ」と言われたという。その子どもはおまわりさんを怒り、「この人が死んだら、あんたのせいだよ」という。子どもは“人とつながろうとする力”を持っている。その内なる力は、“人権”を守ろうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

生活相談の場

 

・家出を繰り返す子どもがいた。荘保さんは、いつも家に帰るように言っていた。ある日、すごい勢いで泣きながら「大人は大嫌い、だれも助けてくれない」と。その子は性的虐待を受けていた。そのことを知っている母親も助けてくれなかった、それでも母親のことが好きだという子ども。

・子どもが問題児なのではない。SOSを出している。人権侵害を受けている子どもをどう救うか。どんなに苦しくても子どもはお母さんが大好き、子どもを救うには家庭を救わなくてはならない。性被害のうち30%が6歳までに性被害を受けているという。加害者は顔見知りの場合がほとんど。「だまってろよ」と言われて繰り返されている。

 

 

 

 

 

 

 

生活・子育て相談からみえてきた課題

 

・精神疾患をもつ親は多い。連鎖からどう救うか。母親が解離性同一性障害。
ネグレクトとみなされ、子どもが、突然児童相談所に連れていかれる。
⇒会わせてもらえず、母親は絶望し自殺

覚せい剤依存症は犯罪ではない。ヨーロッパでは犯罪とはみなさない。寄り添う救済策を立てるべき。

 

 

 

 

 

 

 

39歳までの死亡原因

 

子どもが安心できる居場所、子どものニーズを受け止め、最善の利益、子どもの人権を保証する場所を作りたい。どうしたら“子どもの命を真ん中に”できるのか

こどもの里は、必要に応じて、泊まることのできる緊急避難場所にもなる。どんな相談にものり、学習の場にもなる。料理や食事が、いっしょにできる食堂など“暮らしの場”としてのニーズにも対応している。

 

 

 

 

 

 

 

子どもの居場所

 

 

 

 

 

 

子どもの居場所のあり方

 

・小3から子どもの里に来ている子ども。毎日、本を読み漁っている。毎日、家からの手紙を持ってくる「ミルクがない」「ごはんがない」と。その子の学校の運動会に行ってみたら、姿がみあたらない。その子どもは3年間、学校にいっていなかったことがわかる。出生届けを出していないので、無戸籍。無戸籍であっても就学は保障されることになっているので、荘保さんが手続きを連れ添ってする。

・飯場の契約は10日間だった。父親が姉弟だけを残して仕事に。その間に児相に連れていかれる。子どもを返してもらえない。ちゃんとした仕事に就くようにといわれるがそう簡単にはできない。
⇒父親が飯場に行っている間、こどもの里で子どもを預かる(一時宿泊)。様々なSOSを受け止めるうちに、緊急一時預かりの他、荘保さんは里親になり、自立援助ホーム、ステップハウスも運営する。いつでも、だれでも、どこででも“子どもの最善の利益を”めざす。

 

新しい福祉地域文化の創造。日雇い労働者への理解、夜回り

日雇い労働者はこれまで一所懸命はたらいてきた。子どもの里では、釜ヶ崎のおっちゃんたちがどんな仕事をしているのか学ぶ。地域の夏祭りや運動会をいっしょにする。おっちゃんたちとの交流を持つ。夜回りもする。1,2,3月に週1回、毎週同じところを回る。お互いに「ありがとう」といい、エンパワメントされる。

・15歳の子どもが長靴持って、土方の仕事を体験見学。
「土方のおっちゃん、えらいで。ヘドロすくっている。土方のおっちゃん、総理大臣よりえらいのに、どうしてバカにされるの」

横浜で中学生がホームレスを襲う事件、その中高生たちは路上生活者に対して「くず、ごみ」と言っていた。その子どもたちも家にも学校にも居場所のない子どもだった。

 

 

 

 

 

 

 

地域で子どもを守る

 

児童相談所よりまず地域に子どもの居場所、子ども包括支援センターを!
中学校区に1個。虐待予防と貧困対策。排除のない社会、子どもの生命の場所を!

・子育てと子育ちを柱に、民生児童委員や保育所、学校、子ども相談センターや社会福祉協議会などと連携で。福岡市と明石市は、緊急一時を地域の中の里親で始めた。里親は「覚悟を持った人」。その里親との協力体制をつくるべき。

・貧困は社会がつくったもの・・子どもを救わなくてはならない。
子どもを救うということは大人を救うということ

 

 

 

 

 

 

社会的貧困

 

 

 

 

 

 

 

子どもの貧困の定義

 

 

 

 

 

 

 

子どもの貧困対策

 

 

 

 

 

 

 

自立観

 

 

子どもは混とんとした場所で豊かに育つ

・耳の聞こえない子どもがいることでみんな手話ができるようになった。英語より手話。
・こどもの里は、土・日・祝日、全て開いている。なぜなら居場所のない子どもがいるから。
・暮らしの中で暮らしを取り戻す。家はゴミ屋敷の子ども、皿は洗ってしまうものだと知る。
・泥遊びと田植え、夏冬のキャンプ⇒自然に触れるとやさしくなる。
・なんでもお祝い。卒業、入学、進級、進学、就職
どのイベントでも高学年が低学年をお世話する
・ドイツ・ポーランド研修旅行・アウシュビッツ、コルチャックを知る旅を経験
(UPSからの寄付による)

 

 

 

 

 

 

 

 

安心して生きる権利

 

「子どもはだんだん人間になるのではなく、子どもはすでに人間である」
コルチャックの言葉

 

 

 

 

 

 

 

子どもの権利

 

 

 

 

 

 

 

保護対象から権利主体に

 

 

 

 

 

 

 

荘保さんと