被災者支援に立ち上がった「NPO法人いわき自立生活センター」障害当事者の方たち

障害者は、支援を受けるばかりの存在ではないのです。
被災者支援にたちあがった「NPO法人いわき自立生活センター」の小野和佳さんのお話を聞く機会がありました。

   障害者スタッフが主体  

「NPO法人いわき自立生活センター」は、いわき市中央高台にある、“障害者スタッフが主体となって”働く場所です。

“障害者のことは障害者が一番よくわかる”“いかなる障害があっても、地域で自立した生活が送れる福祉サービスの提供”を主眼に相談業務、ホームヘルプ事業、印刷業務、クリーニング業務などを手掛けている法人です。


東日本大震災  近くに1000個の仮設住宅

いわき市沿岸部は、津波の大きな被害を受けましたが、このセンターは高台に建っていたのでだいじょうぶだったそうです。でもなんと、このセンターのある高台に1000個の仮設住宅ができました。被災された方が移住してきて、もとからあるこのセンターに様々なことを聞きにきたり、助けを求めてきたりする人が少なくなかったということです。

この事態に、センターは市内のNPOネットワーク(いわき市内32団体)に呼びかけて、「暮らしサポートセンター」を立ち上げ、支援を始めました。福岡の企業から寄贈された「パオ」(モンゴルのテントに似ている)にちなんで「パオ広場」と名付け、そこでNPOの団体が、それぞれの得意分野を生かして支援活動を始めたということです。

市内NPO団体による支援活動  
  パオ広場(暮らしサポートセンター)

たとえば盲目で按摩ができる方が、被災者に按摩をしたり、ある団体は被災者とともに農園や菜園・花壇作りをしたり、学校から帰ってきた子どもがいっしょに遊んだり、宿題ができるように「子ども放課後クラブ」を運営したり、各種相談にのったり、ティーサロンを開催したり、と、今でも支援が続いているそうです。

「子ども放課後クラブ」では、仮設住宅に住むお母さんたちが交代で見守りのアルバイトをするなど、就労支援も視野にいれているそうです。相談窓口には、アルコール依存の相談が少なくないとか。

人に寄り添えるのは人

ここで驚くのは、行政に頼っていないこと(頼れなかったというべきか)。3つの大きなパオは、企業からの寄贈だったし、32のNPO団体が、その創意と結束で過酷な仮設住宅の生活の中に明るい地域コミュニティーを生み出したのです。子どもたちが遊び、学び、大人が働き、集い、語りあえる場を、市民が作ったのです。

そして、この事業を呼びかけたのは、障害をもった方たちであったということ。

本当の辛さを知っている人こそが、人に寄り添えて、やさしいのにちがいありません。地域の必要は、地域の人こそがわかる、大事なのは、「人」だということも教えられました。

だれでもが助け、助けられる存在なのですね。これまで、支援する人、される人、と分けて考えていなかったでしょうか。私自身は大いに反省させられました。地域はみんなでつくっていくものですね。

行政の役割

東日本大震災はあまりにも大きな災害で、行政機能がストップしてしまっていたところも多かったと聞きます。特に福島は、津波と原発事故があったところです。国の支援のなさが問題ではあったと感じますが、大災害のときは、やはり地域の助け合いが大きな力になるということをこのいわき市のNPOネットワークの機動力にも教えられます。

では、行政の役割はというと・・・・日ごろの市民活動をバックアップし、ネットワークを大事に育む環境を整えることではないでしょうか。

広報誌も充実。「パオ」の写真もみることができます