馬込界隈、アートと地形にふれる町歩き  川端龍子、熊谷恒子、堀越保二を鑑賞

2018年3月3日 22時41分 | カテゴリー: 活動報告

梅の季節、総勢9人、江戸時代から近代の風景を思い浮かべながら馬込の坂を楽しみました。すばらしい芸術家の足跡を知って、大田区はこんな巨匠を生み出した地であることを改めて誇りに感じるひと時でもありました。馬込の物語、もっともっと知りたくなりました。

〔講師〕桜井美保さん(東京まち歩き風のように花のように
〔主催〕サロンde池上

〔コース〕
文化の森⇒昭和の家⇒龍子記念館⇒熊谷恒子記念館⇒区民農園⇒郷土博物館⇒湯殿神社⇒時計台⇒長遠寺

 

【1】六郷用水:徳川家康は六郷用水をはりめぐらせて水田地帯を形成した。東海道より古い平間街道は「いざ、鎌倉」と鎌倉へ走る道。東海道ができるとそちらが主流になるが、鈴ケ森は穢れがあるということで、殿様に新茶を献納するときは、平間街道を華やかで格式のある「おちゃつぼ道中」が通った。用水のあとが道になっており、昭和28年建築のおうちを見せていただいた。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和の家

 

【2】川端龍子:1885~1966 日本画家だが、ダイナミックな構図と古典と現代性が融合した独創的で、力強い絵が特徴的。絵の鑑賞をお金持ちなど一握りの人が楽しむ「床の間芸術」から万人が楽しめる「会場芸術」へと転換させる。三越など百貨店との共催を始めて行う。

 

 

 

 

 

 

龍子記念館

 

 

【3】桜並木と馬込文士村:内川を暗渠にしてできた道が桜並木。昭和28年に90本の桜を植えた。馬込文士村には多くの文士が移りすんだが、めんどうみのいい尾﨑士郎が多くの文士を呼び寄せたことと詩情あふれる自然、借家賃が安いことが魅力だったようだ。マージャン、社交ダンス、若者の自由な語り合いが盛んにされた地。

 

【4】熊谷恒子:1893~1986 京都生まれ。美智子さまの書道の先生。

 

 

 

 

 

 

熊谷恒子記念館

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実をとるために育てている梅、区民農園

 

【5】郷土博物館:馬込は高低差が激しいので、九九谷(つくも谷)と呼ばれていた。湧水が多く、住みやすい土地だったのか、埴輪も出土している。特別展は堀越保二。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

郷土博物館

 

【6】堀越保二:1939~。大森生まれ。入新井第一小学校、大森第二中学校、都立小山台高校から芸大に。子どもの頃過ごした大森海岸の開発と埋め立てにショックを受けて、都立野鳥公園設立に関わる。野鳥から里山風景、自然環境の観察と保存運動と絵画制作を融合させている芸術家。

 

【7】湯殿神社:江戸時代に作られた。大きなクスノキ、イチョウの木が歴史の生き証人。こま犬がそれぞれ子どもを連れているのが特徴的。隣に馬込城があったという説もある。
江戸城を馬込に置こうかという話もあったという。もし馬込が東京の中心になっていたとしたら・・・今ほど日本は栄えていなかったのではないか。。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湯殿神社

 

【8】明治時代にできた馬込小学校の建て替え時に、譲り受けた時計台