日本の知恵・究極のエコ 「昭和の暮らし」から 登録文化財 昭和のくらし博物館

昭和26年に住宅金融公庫の融資で建てられた小泉家。平成8年までの45年間、一家が住んでいた家ですが、「昭和」の庶民の暮らしぶりを残しておこうと、家財道具もそのまま保存して、平成11年から博物館としてオープンしました。

私は、この「昭和のくらし博物館」が大好きで、時々訪れますが、ほのぼのとした懐かしさを感じるとともに、折り目正しい暮らしぶりが伺われて、気持ちがしゃんとするせいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

この日は、幸運なことに小泉家の三女の紀子さんから解説をいただいたので、ご報告いたします。行くたびに、いつも多くを教えられますが、エアコンから学習塾まで?昭和の「究極のエコライフ」を感じたのでした。

木造・日本建築
建築家のお父さまが建てたこの家には、括り付けの家具、床下収納など、無駄がなく、機能的であり、隅々まで工夫がなされています。木は100年から150年たったところで、最も強度が増すそうで、この小さな木造住宅は、3・11にもびくともしなかったそうです。


クーラー要らず
外 は蒸し熱い日でしたが、この家はどの部屋もいい風が吹きぬけていて、清々しい涼しさを感じるほどでした。当時の家は、風通しが重要な建築のポイントで“家 を乾燥させて、虫がわかないようにした”そうです。(現代は、窓があっても、周りじゅうエアコンの室外機ではかえって熱風を呼び込みかねません)

 

 

 

 

 

着物
サイズは、融通がきくので、着る人を選びません。ほどいたら、反物にもどるので、リメイクもできます。着古した浴衣は、柔らかい「おしめ」に。絹の場合は、裂いて、はたきに。はたきは、柔らかくて、軽い絹が埃をよく払ってくれるそうです。

なべ
当時、アルミの鍋は、穴が開いても「鋳掛屋さん」が「接ぎ」に来てくれました。もっとひどくなったら、「くずやさん」が買い取ってくれて、それはまたリサイクルされました。

乾物
栄養価の高い保存食。量も軽く少なくなるので、かさばらない。水に戻すだけという簡単さも。豆・かんぴょう・しいたけ・切干大根・・・。台所の天井に籠を吊るして、その中に入れておきます。

捨てるものはない
紙はどんな汚れた紙でも「くずや」さんがもっていってくれました。生ごみは畑の隅に掘った穴にいれて、たい肥化。何かを買っても竹の皮にくるまれているので、殺菌作用があるし、捨てれば土にかえる。牛乳瓶は牛乳さんに返すし、ゴミというものは存在しませんでした。

ドクダミ茶
暑い夏にドクダミ茶は、すっきり爽やかです。近所の庭に自生しているドクダミの草を摘ませてもらい、軒につるして干す。それを煮出して冷やしておくのです。解毒作用があり、血液をきれいにすると、昔から言われています。

ドクダミ茶をごちそうになりながら、紀子さんからゆっくりお話を伺えました。
自然と調和し、自然の恵みをいただきながら暮らす、「足るを知る」暮らしを、味わった時間でした。

 


~お手伝い・くらしの中で養われるもの

近所の子どもたちが、「お手伝いなあい?」と来るそうです。いっしょにドクダミを摘みにいったり、草むしりをしてもらったりすると子どもたちは、大喜びで、いつの間にか「お手伝いグループ」ができているそうです。

くらしの中には、子どもたちのできることもあります。家族の役にたつ経験を経ながら、自信をつけ、同時に生活の知恵を身に着けていけるのが「お手伝い」。自給自足に近い家事労働があった時代は、「お手伝い」は生きていくうえでの大事な学習の機会にもなっていたのですね。