『チェルノブイリという経験―フクシマに何を問うのか』を読んで

チェルノブイリ原発事故から30年間、ロシア政府の公式見解、提示するデータをみよ。
フクシマ原発事故被災者に対しても生涯にわたる検診を国の責任で行うべき。

 

チェルノブイリという経験――フクシマに何を問うのか
著:尾松 亮 岩波書店
 
 
1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故が起こりました。今日でまる32年です。ロシアがこの体験をどう検証して総括しているのか、被災した人々はどうなっているのか、同じ原発事故を体験して7年が経過した日本は、先行するロシアの知見から最大限学び、今後に生かすべきです。特に被災者の生活、健康に関して。原子力災害という人類にとって未知な世界に対しての「畏怖」の念を私たちは持ちつづけるべきで、多くの犠牲を無駄にしないような行動をとるべきです。示唆を与えられた本を紹介させていただきます。尾松亮さんがロシア語と日本語の橋渡しをしてくださる中で「健忘症」気味の私に刺激を与え、目を覚まさせてくださいました。感謝です。

 

2016年版「ロシア政府報告書」

30年間のデータの蓄積からのチェルノブイリの健康被害についての見解。
〔1〕「甲状腺がん」にセシウムの汚染が影響している可能性
〔2〕放射線の影響による遺伝的疾患【先天異常(形成不全)、変形、染色体異常が有意に高い】
〔3〕収束作業員の血液循環器系疾患の放射線起因

これまで甲状腺がんは18歳未満の未成年が放射性ヨウ素(半減期が8日)を甲状腺に取りこんだ場合のみ原因になりうると評価されていたものが、半減期が30年と長いセシウム137による汚染度の高い地域に一定期間移住した人に甲状腺がんが多いと認めています。報告書では「事故翌年の増加」「事故時5歳未満の層に発症が増加したのは事故からおよそ10年後」などのデータが示されています。

「全被災者対象の生涯続く検診」の必要性がここからわかります。チェルノブイリ法に学ぶ意味は大きいのです。

 

チェルノブイリ法の意義

チェルノブイリ事故から5年後に生まれたこの「原発事故被災者保護法」の特徴は「対象の広さ」「長期的時間軸」「国家責任の明確さ」だといいます。対象は事故処理作業者、汚染地域からの避難者、汚染地帯に住み続ける人々などで、被害が長期に続くことを前提に、生涯にわたり無料の健康診断が約束されています。また被災者を保護し、被害を補償する責任は「国家」にあることが明確に示されているのです。20年近く経ったところで、支援策の実施率は著しく下がりますが、健康診断の実施率は30年経過しても95%以上です。
また「移住権」があることで移住の選択ができ、住民同士、お互いの選択を認め合う社会的な前提ができています。

 

子ども・被災者支援法

日本においても福島原発事故の翌年、チェルノブイリ法を参考に「子ども・被災者支援法」が作られました。“生涯にわたる健康診断”という文言は盛り込まれたものの、避難の権利が認められる基準、生涯健康診断を実施する基準があいまいだったために骨抜きにされています。公的に実施している検診は、事故当時福島県に在住していた人々を対象にした県民健康調査だけであり、さらに縮小傾向に。事故から30年後、日本はフクシマ原発事故の影響の総括ができるのでしょうか。国としてのスタンスが問われています。

 

法律の価値と課題

ロシアも日本もそれぞれの法律において、「不明な放射線リスク」を認め、「避難と居住継続」の選択を国が支援すると定めていましたが、福島原発事故においては、2017年、避難指示区域外からの避難者への応急仮設住宅供与が打ち切りになるなど、事故に対する補償、避難継続を望む人々の権利、そして自治体や国の義務もないがごときでした。理念だけではなく、明確な規定を盛り込んで国の保護を求めなくてはならないのです。

 

放射線防護教育のできないフクシマ 「ロシアの教師とフクシマの教師の交流から」

チェルノブイリ原発から北東に200キロ離れている「ノボズィプコフ市」は住み続ける権利も移住する権利もある土地ですが、30年たっても街の一部や森の中にはホットスポットがあります。この街の学校では子どもたちに放射線防護の知識を教える授業をしており、補助教材は「チェルノブイリ情報センター」から提供されています。たとえば、「落ち葉の吹き溜まりに放射性物質がたまりやすい」、「森のキノコやベリーは採って食べてはいけない」、「川や湖での水遊びはさける」、「森林火事の時は灰を浴びてはいけない」など。公教育の教科ではなく、国の原子力政策を批判することもできませんが、「放射線は体にどんな影響を与えるのか」「それを避けるために何ができるのか」を伝えることはリスクのある土地に住むための対策として当然だと考えているそうです。

 

「風評被害」という言葉は何を意味しているのか

一方、ある福島の教師は「風評被害」が生じるから放射線の健康への影響については、子どもたちに話せないといいます。「風評被害」という言葉はロシアには存在しないそうです。「風評被害」の内容の定義や「何によって、誰が被害を受けるのか」を考えていくことの必要性、と「今、日本人に必要なこと。言葉のトリックから、教室を開放すること」と尾松さんは言います。

ロシア研究者で通訳者である尾松さんは、ロシアと日本との行き来の中で、「言葉」に込められている人々の意志を読み取っていたのでしょう。どういう社会にしたいのか、どういう未来を創っていきたいのか、潜在的な意識が言葉には込められているのかもしれません。指摘されたことで、「風評被害」という言葉には「思考停止」「見えざる圧力と人権軽視」というだれかの意図を感じざるを得ませんでした。少なくともだれをも救えない言葉です。自分自身の言葉を持たなければと改めて決心したのでした。
 
 
尾松さんの言葉は重く響きます。
「チェルノブイリからの言葉を伝えるとは、簡易な解決策を見つけて提示することではなかった。ユーラシアの大地の底からの嘆きを、怒りを、生き残りの願いを身に受け止めて、自らの願いを日本語で発すること。怒りを共振させ、願いを言葉にして、意思決定者に覚悟を問うこと。」(168ページ)