教育をめぐるあれこれー農業高校の教師、自分の子どもの不登校に向き合う
知人のお嬢さん、Fさんに久しぶりに会う。彼女は大学で農業を学び、今は熊本で農業高校の非常勤の教師をしている。農業高校の話は新鮮で、学校の在り方、また学生や不登校になった自分の子どもとの向き合い方からも「教育の在り方」を考えさせられた。
近所にある古民家カフェ『蓮月』にて
●農業高校のこと
Fさんが農業高校で教えているのは「生物活用」他、4教科。生物活用という教科では園芸療法とアニマルセラピーを「農業と心理学」を組み合わせて授業内容を組み立てているとのこと。農業に結びつくのであれば自分の裁量で内容を自由に考えられるので農業高校での仕事はやりがいがあり、面白いという。
Fさんは園芸科だが、人気なのは、畜産学科。学校では牛、豚、馬、犬、鶏、鹿、いのしし、ヤギを飼っているとのこと。牛の出産のときは、夜中の3時であっても寮生たちは呼び出されて、その出産に立ち会うとか。牛は配合飼料や牧草を調節して育て、いかにバランスよく、肉付きがよい牛を育てられるかに取り組むのだが、女子の中には、寮の部屋の壁にジャニーズ系の男の子のポスターとその横に牛のポスターを貼り、その美しさにほれぼれしている学生もいるという。牛の堆肥は田んぼに、稲のもみ殻は赤ちゃんの豚や馬の寝床に使うなど、農業高校内での循環はよく考えられている。野菜や卵など生産したものを売るほか、いい豚や牛を生産したいという目標が明確なせいか、学生のモチベーションは高いとのこと。
学生との関係で学んだのは、一方的に「教える」授業をしていた時は、生徒が授業についてこなかったけれど、一人の人間として対等にありのままの自分を出して学生に向き合い、できるだけ具体的、体験的な授業にすることで、クラスに共感的な雰囲気が生まれ、学習への意欲が高まってきたこと。
●子どもが不登校に
Fさんには子どもが二人。夫はスリランカ人なので、子どもたちの肌の色は黒い。
上の子どもが小学1年生のとき、そのことでいじめに合い、学校に行けなくなる。「死にたい」という娘に「死にたいくらい辛いんだったら、学校には行かなくていいよ」といったFさん。
ちょうどそのころ開校したフリースクールがあったので、「ママは学校の先生だから、学校には興味があるの。フリースクールに行ってみたいと思う」というと娘もついてきた。
学校との連絡も取り続けたいので、学校内で行われている学童保育の指導員も始めた。そこにも娘はいっしょについてきて、娘は図書館で過ごし学童保育終了と同時に親子でいっしょに帰ってくる生活を続ける。
担任の教師は、それを喜んでくれて「きてくれてありがとう」と言いながら見守ってくれる。4年生になる今は週に2日フリースクール、3日は学校という生活で、全て学校への出席扱いにしてもらっている。
●学校の在り方を考える
Fさんは、自分の仕事や子どものことを通して教育の在り方や心理学への関心を深め、さらに子どもたちの力になりたいと現在は大学院で心理学を学んでいる。
不登校については、そもそも“みんなと違う”ということでの「いじめ」が原因。学習をカバーするためにフリースクールに通い、家庭ではタブレット学習を行っている。それぞれに費用がかかる。本来、小学校は義務教育、子どもには“学ぶ権利”があるはず。フリースクールの授業料も無償であるべき、とFさんはいう。それから最も大事なことは、“子どもが楽しく通える学校の在り方とは”ということをもっとちゃんと追求するべきだと。
農業高校の話から子どもの不登校の問題まで教育をめぐる話は尽きませんでした。
昨今、学校現場の問題は山積しており、大田区においても「いじめ」も「不登校」も減らず、教師のストレスは精神疾患での休職もあるほど。教科書の内容が多く、決められたカリキュラムをこなさなければならない、事務量が多い、さらにクラス経営の難しさなどを聞きます。農業高校での教師の自由裁量が認められる授業、生徒にとっては体験的な学習、これらはこれからの教育の在り方のヒントにならないでしょうか。
不登校については、2017年に完全施行になった教育機会確保法(義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律)において、学校復帰を大前提としていた従来の不登校対策を転換し、学校外での「多様で適切な学習活動」の重要性が指摘されています。不登校はだれにでも起こりうることとして、「休養の必要性」も認めています。
Fさんの子どもが図書室登校やフリースクールと学校の両方に通うことに対して学校が柔軟に対応していることは評価できるとしても、税金ですでに負担している公教育の費用の他にフリースクールの費用負担があること、フリースクールの存在が子どもを救っている現状があるのにフリースクールには公的援助がないことなどは、子どもの「学ぶ権利」の観点からも早急に改善されるべきことです。
まだまだ尽きなかった教育談義、Fさんとのおしゃべりからの報告でした。