障がいがあってもなくても、みんな地域の学校に行こうよ!

障がいがあってもなくても、みんな地域の学校に行こうよ!

東京・生活者ネット・子ども部会学習会・意見交換会

インクルーシブ教育について

2020129日 都議会・議会棟6階控え室にて

 

障がい当事者とその保護者や元教員などで構成する団体「東京インクルーシブ教育プロジェクト」の海老原宏美さんからお話しを伺いました。ご本人いわく、「シンプルな提案・障がいがあってもなくても、みんな地域の学校に行こうよ」というテーマでのお話と意見交換がなされました。

 

障がいがあることで、普通学級ではなく、特別支援学級や特別支援学校に行く、つまり分離される形が現状、日本の学校制度の中では主流です。でも本来、共生社会をめざすなら、現行制度の中での、“やりやすい学級運営”に合わせるのではなく、子どもに照準を合わせて、地域の中で、生活していくにはどうすればよいかを考える視点こそが重要です。医療従事者や作業療法士が学校に出向くなど、地域の学校を核にした体制、子どもたちを分離しないですむ方法をとれないものか、職業訓練的なことも地域の学校の中で共にできないか、など様々な方法を考えさせられ、大変示唆に富んだお話と意見交換会になりました。いくつかのポイントを報告いたします。

 

●排除しないで

日本も批准している、「障がい者権利条約」の24条では、「障がい者が障がいを理由として教育制度一般から排除されないこと」「個人に必要な合理的配慮が提供されること」等が定められています。

 

●分離しないで

しかし現状では通常学級以外に「特別支援教室」「特別支援学級」「特別支援学校」などがあり、障がいがあることで分離されがちです。そして、はじめの分離が一生の分離の始まりになります。放課後等デイサービス、作業所、グループホーム、施設入所・・・

●社会性は人の中でこそ

社会性は、他者との関係の中でこそ、身に付きます。ある障がい者が努力をして、大検に受かったのに、それまで健常者との交流を経験してきていないので、大学に入ってから人間関係の構築に苦労したそうです。

●障がい児と健常児との交流や共同学習への疑問

“(障がい者とのふれ合いは、)障がいのない子どもにとって、豊かな人間性を育てる上で意義があり、多様性を尊重する心を育む(中教審初等中等教育文科会報告)”とあります。

しかし、先生に「障がい者に優しくしましょう」と言われて優しくするのはどうなのか。元々、分離されていて、“あの子たちと自分たちはちがう”という意識を植え付けられたうえで、本当の共生社会の形成になるのだろうか。

 

●特別支援教育は必要

障がい者だけが特別なのではなく、すべての子どもの個別ニーズに寄り添う個別支援は必要です。筋力の弱い障がい者には字をたくさん書かせることは苦痛なので、タブレットを使えるようにするなど、環境を整える個別支援(合理的配慮)は必要です。

 

●インクルージョンとは

対象となる年齢層のすべての生徒に公正な参加型の学習体験と彼らのニーズに最も合致した環境を提供すること。

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教育のインクルージョンはめざすべき社会の方向性であり、学校での実践が求められます。しかし、実際、今の日本の学校制度の中で可能でしょうか。海老原さんがスウェーデンを視察したとき、療育のプログラムは子ども主体で本人が自発的にやりたいと思うときをよく見極めていたそうです。なぜ学ぶのか、なぜ働くのか、本人が自分の人生をどう生きたいのかに目を向ける教育の現場は1クラス20人ほどの学級であり、参加型の授業形態だったそうです。障がいがあってもなくても多様な人と出会い、コミュニケーションと自発性、主体性を重んじる学級経営の中においてこその”インクルージョン”であることがうかがえます。今の日本の学校のあり方を見直す中で、インクルージョンの捉え直しが必要です。だれもが地域で生きていける社会の実現を急ぎめざしつつ。